帰宅部の事情・本編…『後編』
2011/04/17 22:49:06
帰宅部の事情の後編です。
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7)
帰宅部は全力で駆ける。
まだ夏の暑さが残るコンクリートの道を。
後ろで釘バットが待っているわけでもない。
ゴミを袋いっぱいにするわけでもない。
四人は走る。
ただ、自分たちの部活を守るために――
――そして、勝負の日の前日。
「はぁはぁ…。 ダメ…、こんなんじゃ、陸上部には勝てないよ…」
夕日が差し込む、芽高高校の表門の前。
ラムネ先輩、そして一年生三人が地べたに座り込む。
運動部員が1、2! の掛け声で目の前で通り過ぎるたび、もっと頑張らないと、という焦りと、もうダメじゃないか、という諦めが汗となって頬を伝う。
「ラムネ先輩、休憩しましょう…。 さっきから、走りっぱなしですから…」
「そ、そうね…。 そうしようか…」
ここあちゃんの提案で四人は門に背を預け、一時の休息を取ることにした。
「運動なんて普段しないから、急にすると、脚にくる…」
「俺様も胸が張り裂けそうやわ…。 こんなんで、明日行けるんか…?」
ここあちゃんとシロが、それぞれ痛む場所を押さえて明日の勝負に不安を覚える。
相手は陸上部。 普段から走り慣れているのは、わかりきったこと。
体育の時間でしか運動しない者たちが、急に勝てる相手ではない。
「みんな、ゴメン…。 私のせいで…」
ラムネ先輩は、眼に涙を浮かべて言う。
それにシロが、
ここあちゃんが、
ガムも、首を振る。
「先輩、らしくないで!」
「そうです。 楽しんだもの勝ち…ですよね」
「先輩、聞かせてください。 帰宅部の……萬部の話を」
三人の言葉を聞くと、ラムネ先輩は眼を擦り、えへへ! と、いつものように明るい笑顔を見せた。
そして、ゆっくりと空に流れる雲を見上げて、彼女は話し出した。
「二年前、ね。 この芽高高校に入学した時、私も部活には興味なかったの。 中学の時もしてなかったの」
「えっ!?」
意外な言葉に、一年生三人は眼を丸くした。
それを見て、ふふっ! と、ラムネ先輩がまた笑顔を見せる。
「驚いた? 私も驚いたよ。 初めは無理矢理捕らえられて、勝手に入部届け出されて。 入る気もなかった部活が、今では部長までしているんだよ?」
ガムとシロが、ははは…、と苦笑い。
この人、自分の経験をそのまま後輩にしたのか、と。
「部長が凄く変な人でさ。 いっつも馬鹿みたいなことで笑ってた。 『楽しんだもの勝ち!』っていつも言ってさ。 私もいつの間にか部長のペースで…」
何かを思い出したのか、ラムネ先輩はどこか楽しそうで、どこか寂しそうな表情で――。
「私が三年になって、部長になって。 あの時の部長みたいな人になりたかった。 先輩たちと楽しい日々を過ごした、この居場所を守りたいって思った。 でも、実際は空回りしてばっかりでさ…」
少し間が空く。
秋を感じ始める、冷たい風が通り抜ける。
そして――
「なれてますよ。 その人みたいな部長に」
「ガム君…」
「守りましょうよ、この居場所を。 今がその時です」
ガムが言った。 その眼差しは力強く。
ラムネ先輩はまた眼を擦る。
「嬉しいな…、そんなこと言ってくれて…。 頼もしすぎるよ…」
先輩の眼から、涙が溢れた。 その涙は、とても温かいものだ。
それに慌てて、シロとここあちゃんも。
「おっと! ガムなんかよりも、俺様のほうが百万倍、頼もしいに決まってるわ!」
「ガムの癖に生意気かも。 わたしのほうが、男なんかよりもずっと役に立つよ」
「おい、お前ら、怒るぞ…」
三人がギャーギャー! と騒ぎ始める。
それを見た先輩の、あはははは! という大きな笑い声が、辺りに響き渡る。
そして、立ち上がって――
「みんな、明日、絶対勝とうね!」
三人がしっかりと頷いた。
彼らの背中を押すように、強い、強い風が吹き通る――。
「あ、それでなんだけど」
ここあちゃんが、ふと口にした。
********
8)
勝負当日。
天候は曇り空。
張り詰めた空気が、重い風に乗る。
「来ましたか…」
表門で待ち構えていた教頭先生が睨む、その先には――
「えぇ。 私たちは、逃げたりはしません」
とてもまっすぐな眼差しをした四人が、ゆっくりとこちらに向かっていた。
「いい覚悟です。 本校の生徒として誇らしい態度だ。 しかし、約束は守ってもらいますよ?」
教頭先生は眉間にしわを寄せてそう言うと、ルールの説明を始める。
今回、勝負の場となるのは、帰宅部らしく、芽高高校から加茂芽駅までの通学路だ。
全てコンクリートで舗装された道で、田畑を貫いたり、住宅街に入ったりと、結構入り組んだものとなっている。
芽高高校の近くには、もう一つ大きな芽高駅もあり、生徒のほとんどはそちらを利用するのだが、今回はあえてなのか。
リレー形式で、指定されたところでバトンを回す。
「いい? 昨日の打ち合わせ通りでいくよ?」
ここあちゃんが、こっそりと言う。
「帰宅部ならではの作戦…やな」
「上手くいけば、出し抜けるかもしれないんだな」
シロとガムも、作戦とやらを頭の中で再確認。
「よし、行くよ、みんな!」
そしてラムネ先輩の掛け声で、それぞれのスタートラインに向かう。
皆同じ、守りたい、という気持ちで―――
―――「準備は整ったみたいですね」
各場所から準備ができたことをを携帯電話で確認した教頭先生は、それをポケットにしまい、右手にスタート用のピストルを暗い空へと構える。
帰宅部の先発は、シロ。
彼の表情はいつものちゃらい雰囲気ではない。
「よーし、絶対にいいスタートをして繋げたるっ!」
シロは腕を二、三回回し、ふっー! と強く一息吐く。
そして、ゆっくりと姿勢を落とし、戦闘態勢に入る。
「いいですか? よーい……」
パンッ!!
ピストルの音が天高く轟き、同時に第一走者は強く、前へと駆け出す。
こうして、帰宅部の存続を賭けた闘いの火蓋が、切って落とされたのだった――。
********
9)
スタート開始直後は、青々とした木々が横に並ぶ直線の道だ。
小細工はない。 ただ全力で前へ脚を動かすだけ。
「あそこまでは気張れよ、俺様!!」
シロは歯を食いしばり、必死で陸上部第一走者の後ろにかじりつく。
離されてそうになっても、そのたびに引きちぎれそうな脚を力の限り振るう。
「よし、負けてないで、俺様! もう見えてるで、あそこに!」
シロの見つめる先は、開けた十字路と信号。
右に曲がれば、芽高駅。
向こう側には、第二走者のここあちゃんが手を大きく振っている。
しかし、その道を遮るかのように信号は赤だ。
陸上部第一走者は、ゆっくり減速する。
だが、シロはその脚を止めない。
「かかったぁぁぁ!!」
シロがニヤリと下品な笑い顔で叫んだ瞬間、信号はパッ! と、青に変わったのだ。
とっさに反応出来なかった陸上部第一走者を出し抜き、シロが向こう側へと渡る。
帰宅部ならではの作戦、その一。
信号の変わるタイミングを熟知せよ!
「ここあちゃん、任せたで!」
パンッ! と、音を立ててバトンが繋がる。
ここあちゃんが、走り出す。
「わたしだって、やるときはやる!」
普段、運動とは無縁の関係であるここあちゃん。
その走りもどこかぎこちないが、それでも精一杯腕を振り、脚を動かす。
ここあちゃんが走る道は左右に田畑が広がり、住宅街へと続く。
「苦しい…。 でも、もう少し!」
身体が慣れないことに対し、悲鳴を上げる。
シロが作戦の成功により、引き離した距離もみるみると縮んでいく。
陸上部第二走者が、嵐のようにここあちゃんに迫る。
「追いつかれる…!」
脚が石のように重い。 もう限界は通り越しているかもしれない。
それでももがくここあちゃんだが、無情にも嵐はついに彼女の横を通り過ぎてゆく。
ブォゥ…、と小さな風の渦を残して――。
しかし、ここあちゃんはまだ諦めていない。
むしろ、その表情には余裕の笑みが。
「まだ、『とっておき』がある!」
住宅地内に差し掛かり、陸上部第二走者はさらに帰宅部との距離を広げる。
だが突然、ハッ! として、急停止した。
その先には『工事中』の看板。
本来走るべき道が、塞がれていたのだ。
陸上部第二走者はこの辺りの地形には詳しくないのか、オロオロと戸惑いながら回り道を模索する。
それを横見に帰宅部のここあちゃんは、家と家の間の小さな通路に入った。
帰宅部ならではの作戦、その二。
通学路近辺を知りつくせ!
慌てて陸上部第二走者も彼女の後を追うが、ここあちゃんの選んだ道は、かなり横幅が狭く、追い抜くことはできない。
それに高校生の体格には、通り抜けるのは少し無理があるのだ。
しかし、ここあちゃんは小学生と見間違うほどの小柄。
スイスイと狭い道をくぐり抜け、陸上部を引き離し返す。
「作戦的にはいいけど、コレって自分が小さいことを認めてるよね…」
ここあちゃんが自己嫌悪に陥っているのもつかの間、住宅地を抜けると広い場所に出る。
少しした先には、ラムネ先輩がエールを送っていた。
「ファイト! ここあちゃん!」
ここあちゃんは最後の力を振り絞り、駆け抜ける。
「ラムネ先輩、任せました!」
パンッ! また一つ、思いを乗せたバトンが繋がった。
「ラムネって言うな!」
そう笑顔で言い残すと、先輩は背中を向けて走り出す。
ラムネ先輩が少し走ると、大きな道が横切る場所に着く。
車通りが多く、簡単には渡れない。
信号と横断歩道があるが、まだまだ変わる様子もなかった。
後ろからは、もう陸上部第三走者が見えている。
「さすがは陸上部…、上手く巻いてもすぐに追い付いてくるね! でもっ!」
そう言うと、ラムネ先輩は目の前の横断歩道を無視し、バッ! と、右の歩道へ走り出した。
ふいを付かれた陸上部は、思わず立ち止まる。
先輩が見つめる先には、向こうへ渡る歩道橋があった。
帰宅部ならではの作戦、その三。
大きな道路は、安全に渡れ!
しかし歩道橋は、なかなかの階段数で普通ならば信号を待ったほうが早い。
だが、その点も彼女は抜かりなかった。
「私は、脚が長いのだから!」
ラムネ先輩は自身のアイドル体型を生かし、階段を二、三段ほど飛ばし、みるみる高い歩道橋を駆け上がる。
少し女の子としてははしたないかもしれないが、勝つために手段は選んでられない。
ラムネ先輩の行動を嘗めてかかっていた陸上部第三走者は、信号が青になると、慌てて彼女の背中を追う。
階段を一気に下り、少しばかりか差は開いた。
もう目の前にアンカーのガムが見えている。
しかし、ここに来てラムネ先輩のスピードが落ちてきた。
「うっ…、ヤバイ…、無理しすぎたかも…」
さっき本来走るべきでない歩道橋を一気に駆け上がり、その分のダメージが脚にきたのだ。
一本踏み出すたびに電気が走るような痛みがラムネ先輩を襲う。
「あと少し…、あと少しなの…」
もうすぐそこまで陸上部が迫っていた。
心がくじけそうになる。
胸の苦しさと、脚の痛みと、焦る心で、涙が出そうなる。
――ゴメン、先輩…。 ゴメン、みんな…。
そう思った時だった。
「ラムネ先輩、諦めんなっ! ラストぉぉぉッ!!」
先で待つガムの、スタート地点まで響きそうな―、天を突き抜けそうな―、そんな大きな叫びがラムネ先輩の胸を貫く。
ドクンッ! と、胸の鼓動が大きく鳴った。
胸も苦しい。 脚も痛い。
だけど、どこからか力が湧いてくる。
――そうだ、諦めるわけにはいかないんだ!
ラムネ先輩が最後の力を振り絞る。
「ガム君、行くよっ!」
「はいっ!」
バトンを受け渡そうとした。
その時――、
カツンッ…。
「あっ………」
ラムネ先輩の身体が、前へと地面に沈む――。
********
10)
「ラムネ先輩ッ!!!」
まさかのアクシデントだった。
第三走者からアンカーへバトンを渡す瞬間、不幸にもラムネ先輩が足をくじき、倒れてしまったのだ。
「大丈夫ですか、先輩!?」
アンカーのガムが慌ててラムネ先輩に駆け寄る。
「えぇ…、それよりも、早くこれを…」
ラムネ先輩は痛む足を押さえながらも、ガムにバトンを渡す。
「でも、先輩、早く保健室に…」
「馬鹿っ! 何のためにここまで頑張ってきたのよ!」
沈んだ声で心配するガムだが、そんなガムに先輩はいつもにない表情で怒鳴る。
「これはみんなが必死に繋いだ…、思いが詰まったバトン! こんなところで無駄にしないで! 諦めるな、と言ったのは、ガム君だよ!?」
「先輩……!」
「いい? 絶対に勝って! また、みんなで笑えるように!」
先輩は少し涙でそう言うと、ガムの手にしっかりとバトンを握らした。
みんなの思いが詰まったバトンを――。
「わかりました…、オレ、やります! そして必ず、帰宅部を守る!」
ガムは立ち上がり、強い眼差しをゴールの加茂芽駅へ。
こうしているうちにも、陸上部アンカーは帰宅部を追い越し、もの凄い速さで差を開いていっている。
「ガム君、楽しんだもの勝ち…だよ?」
先輩の声に押されるように、ガムは走り出す。
最後の加茂芽駅への道は、小細工無しの直線。
ガムは胸の奥が熱く感じた。
ちょっと前までの黒い渦はもう、ない。
むしろ、青空のようにスッキリと晴れていた。
ガムは走る。 今までにない速さで。
ランニングマシーン事件の時よりも、
先輩に追い掛けられた時よりも、
ずっとずっと速く。 風のように。
陸上部を相手に、ガムはどんどん距離を縮めていく。
そして、ついに横に並んだ。
――ヤバイ、オレ、何してるんだろう…。 凄く苦しいのに。
胸の酸素が少なくなり、張り裂けそうだ。
脚は固くなり、引きちぎれそうだ。
――こんなのアホ臭いと思ってたはずじゃなかったのか?
入学式の日、廊下に貼られたポスターを鼻で笑ったことを思い出した。
あの時の自分が、今の姿を見たらどう思うだろうか。
きっと白い眼で見るだろう。
――じゃあ、なぜランニングマシーンの時に一瞬でも廃部を恐れたんだ。 なぜ清掃活動の時に深く悩んだ。 なぜ教頭先生に反抗した。 なぜ先輩に部を守ろうと言った。
今までこんなに何かを必死に頑張ったということがあっただろうか。
入試も自分の実力で行ける、それなりのところを選んだ。
中学でも、小学校でも、運動会の徒競走では、五人中三位。
通知表も、いつも三、四が付いていた。
ゲームもクリアしたら、特別やり込みもしない。
本もどっぷりハマって、何回も読むことはない。
いつもそれなり。
いつも真ん中。
いつも普通。
いつも中途半端。
――いや、小さい頃は、面白いと思ったことには、一生懸命だったかもしれない。
夢中になって日か沈むまで、ボールを蹴り続けた。
カッコイイヒーローに憧れ、テレビにかじりついた。
周りに負けたくなくて、必死で走る練習をした。
ガムの胸が熱い。
そうこれは、ずっと忘れていた気持ちかもしれない。
――凄く苦しい。 凄く辛い。 でも……、凄く楽しい!!
努力すること。
何を頑張ること。
それは凄く面倒臭いことだけど、凄く楽しいこと。
そんな当たり前のことを、ガムはずっと忘れていた。
その思いがずっと表に出なかったら、深く苦しんでいたのだ。
――今ならわかる。 先輩が笑っていた理由。 何をするのも全力でやれば、凄く楽しいんだって。
気づくと、ガムは笑っていた。
――みんなの、先輩の、帰宅部のおかげだ。 オレは…、あの居場所を守るっ!!
「楽しんだもの勝ち…だよなっ!!」
もう目の前には、二人の教師が持ったゴールテープが迫っていた。
ガムは駆ける。
正真正銘の最後の力で。
「うおぉぉぉあぁぁぁぁ!!!」
そして、ゴールテープは地面へ、ゆっくりと落ちた―――。
********
11)
「ゴメン、みんな…。 負けたよ…」
曇り空に加え、日も沈み、辺りはもう暗くなっていた。
弱い街灯が、校門で再び集まった四人を照らす。
「ガムは悪くないわ」
と、シロ。
「うん、頑張った」
と、ここあちゃん。
「最後、かっこよかったよ、ガム君。 ありがとう…」
と、ラムネ先輩。
そこに教頭先生がゆっくりと近づく。
「約束通りです。 帰宅部は、廃部にします」
秋の風が、四人の心に通り抜ける。
と、その時。
「その必要はありませんよ、教頭先生」
校舎の方から声がし、ゆっくりと足音が近づく。
「この声は…」
四人はどこかで聞き覚えのある声だと思った。
街灯が声の持ち主を照らし、顔を現す。
それは、白髪混じりの五十代後半くらいの男性。
「校長先生…?」
教頭先生が不思議そうに、その人物の正体を言う。
「教頭先生、帰宅部は…いえ、萬部は廃部にする必要はありませんよ」
校長先生が落ち着いた口調でそういうと、教頭先生は当然のことのように、すらすらと質問を述べる。
「どういうことです? 功績もなにもない。 これといった活動もしていない。 どこにこの部の存在価値があるのです?」
それに校長先生は、ははは! と役職には合わない、大きな笑い声を上げた。
「功績? あるじゃないですか。 たった今、陸上部と張り合ったそうじゃないですか。 他にもボランティア活動を全力で取り組んでいる。 学校にとっても、とても誇らしい部ではありませんか?」
それに…、とさらに校長先生は続けて。
「教頭先生、あなたも元・萬部員ですよね?」
えっ!? と、校長先生の口から出た衝撃の言葉に、帰宅部員は思わず声を上げる。
それに教頭先生は眉間にしわを寄せ、ゆっくり事実を口にする。
「えぇ…、私も二十年ほど前の芽高高校の萬部でしたよ。 でも、何もしない、つまらない部でした。 なのにいつもへらへらと笑って…」
教頭先生は何かを思い出したのか、イライラとした歪んだ表情を見せた。
「何もしない…ですか。 それは、違うのでは?」
校長先生が口に手を当て、考えるように意見を述べる。
「それは教頭先生が何もしなかったのでは? この子たちを見て思います。 どんな些細なことでも全力で取り組めば、笑顔になれる、と」
「それは………」
教頭先生が言葉を失う。
校長先生は、ふぅ…、と一息つき、微笑んで教頭先生に言う。
「この件は私が処理しておきます。 教頭先生は、ゆっくりしてください」
それを聞くと、教頭先生は、はい…、と小さく返事をし、俯いて校舎へ戻っていく。
意外な展開、意外な人物により、帰宅部の危機は一瞬で去ってしまった。
「あの…、どうして庇うような真似を? 教頭先生の言うことは、一律あるのに…」
ラムネ先輩がそれに戸惑い、申し訳なさそうに問う。
それを聞いて、校長先生はまた笑った。
「私も同じことをしましたから。 演劇部を存続させるために、何度も名前を変えて存続させたものです。 私が卒業した後、大会を優勝して今の部があるようですが」
またもや意外な校長先生の発言に、唖然とする帰宅部。
昔の校長先生は、かなりやんちゃだったのか、と。
「今のこの時間を楽しみなさい! あなたたちの部は、これからもっといいものになるはずです! 演劇部のように、ね?」
こうして、帰宅部の波乱の闘いは、終息と迎えた――。
********
12)
次の日の放課後。
いつものように集まる四人。
しかし、またもや穏やかな状況ではないようで――。
「私、帰宅部を引退します」
ラムネ先輩の爆弾発言が全ての元凶だ。
「えっ!? ちょ、先輩、専門学校希望だから卒業するまで、ここにいるつもりだったのでは…?」
ガムが眼を左右にキョロキョロさせ、一学期の清掃活動の時のラムネ先輩の発言を思い出して言う。
それに対して、ラムネ先輩は言いづらそうな態度で。
「あー…、うん。 そうだったんだけど、さ。 夏休み辺りから、大学に変えようかな…なんて思って、勉強頑張っちゃったり…。 てへっ♪」
「てへっ♪ じゃないですよ! オレたち、先輩に贈る物、何にもないですよ!」
ガムは少しご機嫌ななめな顔で、先輩に言い返す。
それに続いて、シロとここあちゃんも、そうだ! そうだ! と騒ぎ立てる。
それもそうだ。 突然の別れの話。 寂しいわけがないのだから。
しかし、先輩は首を横に振った。 何もいらない、と。
「だって…昨日も…、いや練習も、毎日の活動も全部! みんな、頑張ってくれた! いつも私に勇気をくれたじゃない!」
先輩はまた涙を流していた。 顔を真っ赤にして、せっかくの美人顔が台なしだ。
「だから、もう何もいらない…。 貰いすぎになっちゃうから…。 ありがとう、みんな! 楽しかったよ!」
先輩が無理矢理な笑顔でそう言った。
すると――
「あー、そうすか。 んじゃ、何にも用意しやんでええな」
「新しい本を買うお金、キープしたいし」
「そそ、面倒なことはしないに限る」
と、シロ、ここあちゃん、ガムのまさかの白状な台詞。
それにラムネ先輩は眼を丸くし、慌てて、前回撤回! を繰り返す。
帰宅部室に笑い声が溢れた――。
夕日が差し込む帰り道。
空気はすっかり秋の匂い。
優しい風が、すすきを揺らす。
珍しくガムはラムネ先輩と二人、昨日戦場となった加茂芽駅へ続く道を、自転車を押して歩く。
自転車のカタカタという音が、広い田畑に響く。
「ねぇ、先輩」
「なぁに、ガム君?」
ガムが声を掛け、ラムネ先輩が問い返す。
「先輩、オレ、好きです」
ブフーッ!! 不意打ちであまりにもぶっ飛んだガムの台詞に、思わずラムネ先輩は吹き出した。
「え、え、ちょっと…、ガム君?!!」
ラムネ先輩は顔を真っ赤にし、両手を左右にバタバタと振る。
そんなラムネ先輩の態度もお構いなしに、ガムは真顔で言葉を続ける。
「オレ、好きです。 この部活が。 部員のみんなが。 先輩のことも。 だから、次の部長、オレがやります。 絶対、この部を守ってみせます!」
そう言い切って、ガムはグッ! と、ガッツポーズ。
あぁ…部活としての話…、とラムネ先輩は慌てた自分が恥ずかしくなり、早まった鼓動を沈める。
だが、ガムのその言葉はラムネ先輩にとって最高に嬉しい言葉には違いなかった。
「うん、いいよ! ガム君なら、きっといい部長になれるよ!」
ラムネ先輩はそう言って、太陽のようなとびっきりの笑顔を見せた――。
********
13)
ラムネ先輩が引退し、ガムが帰宅部の部長となり、そして早くも三月。
時に獣のように慌ただしい先輩も、やっぱり最後はぐちゃぐちゃに崩れた笑顔で卒業していった。
なんだかんだで涙もろい先輩だった、とガムは振り返る。
そして四月。
新たな学年を迎え、いよいよ入学式の日。
ガムは廊下の窓に勧誘のポスターを急いで貼っていると、高校生活最初のホームルームを終えた新入生がぞろぞろと歩いてきた。
いそいそと部活見学へと向かう人々がほとんどだが、その中にゆっくりと歩く二人の女子が。
「ねぇ、部活決めた?」
「部活? 決まってるじゃん! 私は帰宅部よ!」
ガムはその会話を聞いていると、去年のことを思い出す。
そして、ふっ…、と微笑むと、その二人の下に駆けていった―――。
********
どうして君は、走りつづけるのだろう?
どうして君は、そんなに頑張るのだろう?
向かい風が吹いて、強い雨が降り注ぎ、
それでも君は、笑っていたよね。
「世の中、楽しんだもの勝ち」
だって、それが君の口癖だった。
そんなに楽しいのかい。
頑張ることっては。
僕も一歩、踏み出した。
とても苦しくて、
辛くて、
逃げ出したくもなった。
それでも目指したその先には、きっと――
――笑顔の涙。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
桜吹雪が舞う空の下、
彼女は一つの歌を歌い終えた。
帰宅部は全力で駆ける。
まだ夏の暑さが残るコンクリートの道を。
後ろで釘バットが待っているわけでもない。
ゴミを袋いっぱいにするわけでもない。
四人は走る。
ただ、自分たちの部活を守るために――
――そして、勝負の日の前日。
「はぁはぁ…。 ダメ…、こんなんじゃ、陸上部には勝てないよ…」
夕日が差し込む、芽高高校の表門の前。
ラムネ先輩、そして一年生三人が地べたに座り込む。
運動部員が1、2! の掛け声で目の前で通り過ぎるたび、もっと頑張らないと、という焦りと、もうダメじゃないか、という諦めが汗となって頬を伝う。
「ラムネ先輩、休憩しましょう…。 さっきから、走りっぱなしですから…」
「そ、そうね…。 そうしようか…」
ここあちゃんの提案で四人は門に背を預け、一時の休息を取ることにした。
「運動なんて普段しないから、急にすると、脚にくる…」
「俺様も胸が張り裂けそうやわ…。 こんなんで、明日行けるんか…?」
ここあちゃんとシロが、それぞれ痛む場所を押さえて明日の勝負に不安を覚える。
相手は陸上部。 普段から走り慣れているのは、わかりきったこと。
体育の時間でしか運動しない者たちが、急に勝てる相手ではない。
「みんな、ゴメン…。 私のせいで…」
ラムネ先輩は、眼に涙を浮かべて言う。
それにシロが、
ここあちゃんが、
ガムも、首を振る。
「先輩、らしくないで!」
「そうです。 楽しんだもの勝ち…ですよね」
「先輩、聞かせてください。 帰宅部の……萬部の話を」
三人の言葉を聞くと、ラムネ先輩は眼を擦り、えへへ! と、いつものように明るい笑顔を見せた。
そして、ゆっくりと空に流れる雲を見上げて、彼女は話し出した。
「二年前、ね。 この芽高高校に入学した時、私も部活には興味なかったの。 中学の時もしてなかったの」
「えっ!?」
意外な言葉に、一年生三人は眼を丸くした。
それを見て、ふふっ! と、ラムネ先輩がまた笑顔を見せる。
「驚いた? 私も驚いたよ。 初めは無理矢理捕らえられて、勝手に入部届け出されて。 入る気もなかった部活が、今では部長までしているんだよ?」
ガムとシロが、ははは…、と苦笑い。
この人、自分の経験をそのまま後輩にしたのか、と。
「部長が凄く変な人でさ。 いっつも馬鹿みたいなことで笑ってた。 『楽しんだもの勝ち!』っていつも言ってさ。 私もいつの間にか部長のペースで…」
何かを思い出したのか、ラムネ先輩はどこか楽しそうで、どこか寂しそうな表情で――。
「私が三年になって、部長になって。 あの時の部長みたいな人になりたかった。 先輩たちと楽しい日々を過ごした、この居場所を守りたいって思った。 でも、実際は空回りしてばっかりでさ…」
少し間が空く。
秋を感じ始める、冷たい風が通り抜ける。
そして――
「なれてますよ。 その人みたいな部長に」
「ガム君…」
「守りましょうよ、この居場所を。 今がその時です」
ガムが言った。 その眼差しは力強く。
ラムネ先輩はまた眼を擦る。
「嬉しいな…、そんなこと言ってくれて…。 頼もしすぎるよ…」
先輩の眼から、涙が溢れた。 その涙は、とても温かいものだ。
それに慌てて、シロとここあちゃんも。
「おっと! ガムなんかよりも、俺様のほうが百万倍、頼もしいに決まってるわ!」
「ガムの癖に生意気かも。 わたしのほうが、男なんかよりもずっと役に立つよ」
「おい、お前ら、怒るぞ…」
三人がギャーギャー! と騒ぎ始める。
それを見た先輩の、あはははは! という大きな笑い声が、辺りに響き渡る。
そして、立ち上がって――
「みんな、明日、絶対勝とうね!」
三人がしっかりと頷いた。
彼らの背中を押すように、強い、強い風が吹き通る――。
「あ、それでなんだけど」
ここあちゃんが、ふと口にした。
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8)
勝負当日。
天候は曇り空。
張り詰めた空気が、重い風に乗る。
「来ましたか…」
表門で待ち構えていた教頭先生が睨む、その先には――
「えぇ。 私たちは、逃げたりはしません」
とてもまっすぐな眼差しをした四人が、ゆっくりとこちらに向かっていた。
「いい覚悟です。 本校の生徒として誇らしい態度だ。 しかし、約束は守ってもらいますよ?」
教頭先生は眉間にしわを寄せてそう言うと、ルールの説明を始める。
今回、勝負の場となるのは、帰宅部らしく、芽高高校から加茂芽駅までの通学路だ。
全てコンクリートで舗装された道で、田畑を貫いたり、住宅街に入ったりと、結構入り組んだものとなっている。
芽高高校の近くには、もう一つ大きな芽高駅もあり、生徒のほとんどはそちらを利用するのだが、今回はあえてなのか。
リレー形式で、指定されたところでバトンを回す。
「いい? 昨日の打ち合わせ通りでいくよ?」
ここあちゃんが、こっそりと言う。
「帰宅部ならではの作戦…やな」
「上手くいけば、出し抜けるかもしれないんだな」
シロとガムも、作戦とやらを頭の中で再確認。
「よし、行くよ、みんな!」
そしてラムネ先輩の掛け声で、それぞれのスタートラインに向かう。
皆同じ、守りたい、という気持ちで―――
―――「準備は整ったみたいですね」
各場所から準備ができたことをを携帯電話で確認した教頭先生は、それをポケットにしまい、右手にスタート用のピストルを暗い空へと構える。
帰宅部の先発は、シロ。
彼の表情はいつものちゃらい雰囲気ではない。
「よーし、絶対にいいスタートをして繋げたるっ!」
シロは腕を二、三回回し、ふっー! と強く一息吐く。
そして、ゆっくりと姿勢を落とし、戦闘態勢に入る。
「いいですか? よーい……」
パンッ!!
ピストルの音が天高く轟き、同時に第一走者は強く、前へと駆け出す。
こうして、帰宅部の存続を賭けた闘いの火蓋が、切って落とされたのだった――。
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9)
スタート開始直後は、青々とした木々が横に並ぶ直線の道だ。
小細工はない。 ただ全力で前へ脚を動かすだけ。
「あそこまでは気張れよ、俺様!!」
シロは歯を食いしばり、必死で陸上部第一走者の後ろにかじりつく。
離されてそうになっても、そのたびに引きちぎれそうな脚を力の限り振るう。
「よし、負けてないで、俺様! もう見えてるで、あそこに!」
シロの見つめる先は、開けた十字路と信号。
右に曲がれば、芽高駅。
向こう側には、第二走者のここあちゃんが手を大きく振っている。
しかし、その道を遮るかのように信号は赤だ。
陸上部第一走者は、ゆっくり減速する。
だが、シロはその脚を止めない。
「かかったぁぁぁ!!」
シロがニヤリと下品な笑い顔で叫んだ瞬間、信号はパッ! と、青に変わったのだ。
とっさに反応出来なかった陸上部第一走者を出し抜き、シロが向こう側へと渡る。
帰宅部ならではの作戦、その一。
信号の変わるタイミングを熟知せよ!
「ここあちゃん、任せたで!」
パンッ! と、音を立ててバトンが繋がる。
ここあちゃんが、走り出す。
「わたしだって、やるときはやる!」
普段、運動とは無縁の関係であるここあちゃん。
その走りもどこかぎこちないが、それでも精一杯腕を振り、脚を動かす。
ここあちゃんが走る道は左右に田畑が広がり、住宅街へと続く。
「苦しい…。 でも、もう少し!」
身体が慣れないことに対し、悲鳴を上げる。
シロが作戦の成功により、引き離した距離もみるみると縮んでいく。
陸上部第二走者が、嵐のようにここあちゃんに迫る。
「追いつかれる…!」
脚が石のように重い。 もう限界は通り越しているかもしれない。
それでももがくここあちゃんだが、無情にも嵐はついに彼女の横を通り過ぎてゆく。
ブォゥ…、と小さな風の渦を残して――。
しかし、ここあちゃんはまだ諦めていない。
むしろ、その表情には余裕の笑みが。
「まだ、『とっておき』がある!」
住宅地内に差し掛かり、陸上部第二走者はさらに帰宅部との距離を広げる。
だが突然、ハッ! として、急停止した。
その先には『工事中』の看板。
本来走るべき道が、塞がれていたのだ。
陸上部第二走者はこの辺りの地形には詳しくないのか、オロオロと戸惑いながら回り道を模索する。
それを横見に帰宅部のここあちゃんは、家と家の間の小さな通路に入った。
帰宅部ならではの作戦、その二。
通学路近辺を知りつくせ!
慌てて陸上部第二走者も彼女の後を追うが、ここあちゃんの選んだ道は、かなり横幅が狭く、追い抜くことはできない。
それに高校生の体格には、通り抜けるのは少し無理があるのだ。
しかし、ここあちゃんは小学生と見間違うほどの小柄。
スイスイと狭い道をくぐり抜け、陸上部を引き離し返す。
「作戦的にはいいけど、コレって自分が小さいことを認めてるよね…」
ここあちゃんが自己嫌悪に陥っているのもつかの間、住宅地を抜けると広い場所に出る。
少しした先には、ラムネ先輩がエールを送っていた。
「ファイト! ここあちゃん!」
ここあちゃんは最後の力を振り絞り、駆け抜ける。
「ラムネ先輩、任せました!」
パンッ! また一つ、思いを乗せたバトンが繋がった。
「ラムネって言うな!」
そう笑顔で言い残すと、先輩は背中を向けて走り出す。
ラムネ先輩が少し走ると、大きな道が横切る場所に着く。
車通りが多く、簡単には渡れない。
信号と横断歩道があるが、まだまだ変わる様子もなかった。
後ろからは、もう陸上部第三走者が見えている。
「さすがは陸上部…、上手く巻いてもすぐに追い付いてくるね! でもっ!」
そう言うと、ラムネ先輩は目の前の横断歩道を無視し、バッ! と、右の歩道へ走り出した。
ふいを付かれた陸上部は、思わず立ち止まる。
先輩が見つめる先には、向こうへ渡る歩道橋があった。
帰宅部ならではの作戦、その三。
大きな道路は、安全に渡れ!
しかし歩道橋は、なかなかの階段数で普通ならば信号を待ったほうが早い。
だが、その点も彼女は抜かりなかった。
「私は、脚が長いのだから!」
ラムネ先輩は自身のアイドル体型を生かし、階段を二、三段ほど飛ばし、みるみる高い歩道橋を駆け上がる。
少し女の子としてははしたないかもしれないが、勝つために手段は選んでられない。
ラムネ先輩の行動を嘗めてかかっていた陸上部第三走者は、信号が青になると、慌てて彼女の背中を追う。
階段を一気に下り、少しばかりか差は開いた。
もう目の前にアンカーのガムが見えている。
しかし、ここに来てラムネ先輩のスピードが落ちてきた。
「うっ…、ヤバイ…、無理しすぎたかも…」
さっき本来走るべきでない歩道橋を一気に駆け上がり、その分のダメージが脚にきたのだ。
一本踏み出すたびに電気が走るような痛みがラムネ先輩を襲う。
「あと少し…、あと少しなの…」
もうすぐそこまで陸上部が迫っていた。
心がくじけそうになる。
胸の苦しさと、脚の痛みと、焦る心で、涙が出そうなる。
――ゴメン、先輩…。 ゴメン、みんな…。
そう思った時だった。
「ラムネ先輩、諦めんなっ! ラストぉぉぉッ!!」
先で待つガムの、スタート地点まで響きそうな―、天を突き抜けそうな―、そんな大きな叫びがラムネ先輩の胸を貫く。
ドクンッ! と、胸の鼓動が大きく鳴った。
胸も苦しい。 脚も痛い。
だけど、どこからか力が湧いてくる。
――そうだ、諦めるわけにはいかないんだ!
ラムネ先輩が最後の力を振り絞る。
「ガム君、行くよっ!」
「はいっ!」
バトンを受け渡そうとした。
その時――、
カツンッ…。
「あっ………」
ラムネ先輩の身体が、前へと地面に沈む――。
********
10)
「ラムネ先輩ッ!!!」
まさかのアクシデントだった。
第三走者からアンカーへバトンを渡す瞬間、不幸にもラムネ先輩が足をくじき、倒れてしまったのだ。
「大丈夫ですか、先輩!?」
アンカーのガムが慌ててラムネ先輩に駆け寄る。
「えぇ…、それよりも、早くこれを…」
ラムネ先輩は痛む足を押さえながらも、ガムにバトンを渡す。
「でも、先輩、早く保健室に…」
「馬鹿っ! 何のためにここまで頑張ってきたのよ!」
沈んだ声で心配するガムだが、そんなガムに先輩はいつもにない表情で怒鳴る。
「これはみんなが必死に繋いだ…、思いが詰まったバトン! こんなところで無駄にしないで! 諦めるな、と言ったのは、ガム君だよ!?」
「先輩……!」
「いい? 絶対に勝って! また、みんなで笑えるように!」
先輩は少し涙でそう言うと、ガムの手にしっかりとバトンを握らした。
みんなの思いが詰まったバトンを――。
「わかりました…、オレ、やります! そして必ず、帰宅部を守る!」
ガムは立ち上がり、強い眼差しをゴールの加茂芽駅へ。
こうしているうちにも、陸上部アンカーは帰宅部を追い越し、もの凄い速さで差を開いていっている。
「ガム君、楽しんだもの勝ち…だよ?」
先輩の声に押されるように、ガムは走り出す。
最後の加茂芽駅への道は、小細工無しの直線。
ガムは胸の奥が熱く感じた。
ちょっと前までの黒い渦はもう、ない。
むしろ、青空のようにスッキリと晴れていた。
ガムは走る。 今までにない速さで。
ランニングマシーン事件の時よりも、
先輩に追い掛けられた時よりも、
ずっとずっと速く。 風のように。
陸上部を相手に、ガムはどんどん距離を縮めていく。
そして、ついに横に並んだ。
――ヤバイ、オレ、何してるんだろう…。 凄く苦しいのに。
胸の酸素が少なくなり、張り裂けそうだ。
脚は固くなり、引きちぎれそうだ。
――こんなのアホ臭いと思ってたはずじゃなかったのか?
入学式の日、廊下に貼られたポスターを鼻で笑ったことを思い出した。
あの時の自分が、今の姿を見たらどう思うだろうか。
きっと白い眼で見るだろう。
――じゃあ、なぜランニングマシーンの時に一瞬でも廃部を恐れたんだ。 なぜ清掃活動の時に深く悩んだ。 なぜ教頭先生に反抗した。 なぜ先輩に部を守ろうと言った。
今までこんなに何かを必死に頑張ったということがあっただろうか。
入試も自分の実力で行ける、それなりのところを選んだ。
中学でも、小学校でも、運動会の徒競走では、五人中三位。
通知表も、いつも三、四が付いていた。
ゲームもクリアしたら、特別やり込みもしない。
本もどっぷりハマって、何回も読むことはない。
いつもそれなり。
いつも真ん中。
いつも普通。
いつも中途半端。
――いや、小さい頃は、面白いと思ったことには、一生懸命だったかもしれない。
夢中になって日か沈むまで、ボールを蹴り続けた。
カッコイイヒーローに憧れ、テレビにかじりついた。
周りに負けたくなくて、必死で走る練習をした。
ガムの胸が熱い。
そうこれは、ずっと忘れていた気持ちかもしれない。
――凄く苦しい。 凄く辛い。 でも……、凄く楽しい!!
努力すること。
何を頑張ること。
それは凄く面倒臭いことだけど、凄く楽しいこと。
そんな当たり前のことを、ガムはずっと忘れていた。
その思いがずっと表に出なかったら、深く苦しんでいたのだ。
――今ならわかる。 先輩が笑っていた理由。 何をするのも全力でやれば、凄く楽しいんだって。
気づくと、ガムは笑っていた。
――みんなの、先輩の、帰宅部のおかげだ。 オレは…、あの居場所を守るっ!!
「楽しんだもの勝ち…だよなっ!!」
もう目の前には、二人の教師が持ったゴールテープが迫っていた。
ガムは駆ける。
正真正銘の最後の力で。
「うおぉぉぉあぁぁぁぁ!!!」
そして、ゴールテープは地面へ、ゆっくりと落ちた―――。
********
11)
「ゴメン、みんな…。 負けたよ…」
曇り空に加え、日も沈み、辺りはもう暗くなっていた。
弱い街灯が、校門で再び集まった四人を照らす。
「ガムは悪くないわ」
と、シロ。
「うん、頑張った」
と、ここあちゃん。
「最後、かっこよかったよ、ガム君。 ありがとう…」
と、ラムネ先輩。
そこに教頭先生がゆっくりと近づく。
「約束通りです。 帰宅部は、廃部にします」
秋の風が、四人の心に通り抜ける。
と、その時。
「その必要はありませんよ、教頭先生」
校舎の方から声がし、ゆっくりと足音が近づく。
「この声は…」
四人はどこかで聞き覚えのある声だと思った。
街灯が声の持ち主を照らし、顔を現す。
それは、白髪混じりの五十代後半くらいの男性。
「校長先生…?」
教頭先生が不思議そうに、その人物の正体を言う。
「教頭先生、帰宅部は…いえ、萬部は廃部にする必要はありませんよ」
校長先生が落ち着いた口調でそういうと、教頭先生は当然のことのように、すらすらと質問を述べる。
「どういうことです? 功績もなにもない。 これといった活動もしていない。 どこにこの部の存在価値があるのです?」
それに校長先生は、ははは! と役職には合わない、大きな笑い声を上げた。
「功績? あるじゃないですか。 たった今、陸上部と張り合ったそうじゃないですか。 他にもボランティア活動を全力で取り組んでいる。 学校にとっても、とても誇らしい部ではありませんか?」
それに…、とさらに校長先生は続けて。
「教頭先生、あなたも元・萬部員ですよね?」
えっ!? と、校長先生の口から出た衝撃の言葉に、帰宅部員は思わず声を上げる。
それに教頭先生は眉間にしわを寄せ、ゆっくり事実を口にする。
「えぇ…、私も二十年ほど前の芽高高校の萬部でしたよ。 でも、何もしない、つまらない部でした。 なのにいつもへらへらと笑って…」
教頭先生は何かを思い出したのか、イライラとした歪んだ表情を見せた。
「何もしない…ですか。 それは、違うのでは?」
校長先生が口に手を当て、考えるように意見を述べる。
「それは教頭先生が何もしなかったのでは? この子たちを見て思います。 どんな些細なことでも全力で取り組めば、笑顔になれる、と」
「それは………」
教頭先生が言葉を失う。
校長先生は、ふぅ…、と一息つき、微笑んで教頭先生に言う。
「この件は私が処理しておきます。 教頭先生は、ゆっくりしてください」
それを聞くと、教頭先生は、はい…、と小さく返事をし、俯いて校舎へ戻っていく。
意外な展開、意外な人物により、帰宅部の危機は一瞬で去ってしまった。
「あの…、どうして庇うような真似を? 教頭先生の言うことは、一律あるのに…」
ラムネ先輩がそれに戸惑い、申し訳なさそうに問う。
それを聞いて、校長先生はまた笑った。
「私も同じことをしましたから。 演劇部を存続させるために、何度も名前を変えて存続させたものです。 私が卒業した後、大会を優勝して今の部があるようですが」
またもや意外な校長先生の発言に、唖然とする帰宅部。
昔の校長先生は、かなりやんちゃだったのか、と。
「今のこの時間を楽しみなさい! あなたたちの部は、これからもっといいものになるはずです! 演劇部のように、ね?」
こうして、帰宅部の波乱の闘いは、終息と迎えた――。
********
12)
次の日の放課後。
いつものように集まる四人。
しかし、またもや穏やかな状況ではないようで――。
「私、帰宅部を引退します」
ラムネ先輩の爆弾発言が全ての元凶だ。
「えっ!? ちょ、先輩、専門学校希望だから卒業するまで、ここにいるつもりだったのでは…?」
ガムが眼を左右にキョロキョロさせ、一学期の清掃活動の時のラムネ先輩の発言を思い出して言う。
それに対して、ラムネ先輩は言いづらそうな態度で。
「あー…、うん。 そうだったんだけど、さ。 夏休み辺りから、大学に変えようかな…なんて思って、勉強頑張っちゃったり…。 てへっ♪」
「てへっ♪ じゃないですよ! オレたち、先輩に贈る物、何にもないですよ!」
ガムは少しご機嫌ななめな顔で、先輩に言い返す。
それに続いて、シロとここあちゃんも、そうだ! そうだ! と騒ぎ立てる。
それもそうだ。 突然の別れの話。 寂しいわけがないのだから。
しかし、先輩は首を横に振った。 何もいらない、と。
「だって…昨日も…、いや練習も、毎日の活動も全部! みんな、頑張ってくれた! いつも私に勇気をくれたじゃない!」
先輩はまた涙を流していた。 顔を真っ赤にして、せっかくの美人顔が台なしだ。
「だから、もう何もいらない…。 貰いすぎになっちゃうから…。 ありがとう、みんな! 楽しかったよ!」
先輩が無理矢理な笑顔でそう言った。
すると――
「あー、そうすか。 んじゃ、何にも用意しやんでええな」
「新しい本を買うお金、キープしたいし」
「そそ、面倒なことはしないに限る」
と、シロ、ここあちゃん、ガムのまさかの白状な台詞。
それにラムネ先輩は眼を丸くし、慌てて、前回撤回! を繰り返す。
帰宅部室に笑い声が溢れた――。
夕日が差し込む帰り道。
空気はすっかり秋の匂い。
優しい風が、すすきを揺らす。
珍しくガムはラムネ先輩と二人、昨日戦場となった加茂芽駅へ続く道を、自転車を押して歩く。
自転車のカタカタという音が、広い田畑に響く。
「ねぇ、先輩」
「なぁに、ガム君?」
ガムが声を掛け、ラムネ先輩が問い返す。
「先輩、オレ、好きです」
ブフーッ!! 不意打ちであまりにもぶっ飛んだガムの台詞に、思わずラムネ先輩は吹き出した。
「え、え、ちょっと…、ガム君?!!」
ラムネ先輩は顔を真っ赤にし、両手を左右にバタバタと振る。
そんなラムネ先輩の態度もお構いなしに、ガムは真顔で言葉を続ける。
「オレ、好きです。 この部活が。 部員のみんなが。 先輩のことも。 だから、次の部長、オレがやります。 絶対、この部を守ってみせます!」
そう言い切って、ガムはグッ! と、ガッツポーズ。
あぁ…部活としての話…、とラムネ先輩は慌てた自分が恥ずかしくなり、早まった鼓動を沈める。
だが、ガムのその言葉はラムネ先輩にとって最高に嬉しい言葉には違いなかった。
「うん、いいよ! ガム君なら、きっといい部長になれるよ!」
ラムネ先輩はそう言って、太陽のようなとびっきりの笑顔を見せた――。
********
13)
ラムネ先輩が引退し、ガムが帰宅部の部長となり、そして早くも三月。
時に獣のように慌ただしい先輩も、やっぱり最後はぐちゃぐちゃに崩れた笑顔で卒業していった。
なんだかんだで涙もろい先輩だった、とガムは振り返る。
そして四月。
新たな学年を迎え、いよいよ入学式の日。
ガムは廊下の窓に勧誘のポスターを急いで貼っていると、高校生活最初のホームルームを終えた新入生がぞろぞろと歩いてきた。
いそいそと部活見学へと向かう人々がほとんどだが、その中にゆっくりと歩く二人の女子が。
「ねぇ、部活決めた?」
「部活? 決まってるじゃん! 私は帰宅部よ!」
ガムはその会話を聞いていると、去年のことを思い出す。
そして、ふっ…、と微笑むと、その二人の下に駆けていった―――。
********
どうして君は、走りつづけるのだろう?
どうして君は、そんなに頑張るのだろう?
向かい風が吹いて、強い雨が降り注ぎ、
それでも君は、笑っていたよね。
「世の中、楽しんだもの勝ち」
だって、それが君の口癖だった。
そんなに楽しいのかい。
頑張ることっては。
僕も一歩、踏み出した。
とても苦しくて、
辛くて、
逃げ出したくもなった。
それでも目指したその先には、きっと――
――笑顔の涙。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
桜吹雪が舞う空の下、
彼女は一つの歌を歌い終えた。
帰宅部の事情・本編…『前編』
2011/04/17 22:44:24
この小説は作者が文芸部誌で公開したものです。
2011年秋に保管編を公開予定です。(都合により遅れる場合があります。)
芽高高校に入学した主人公ガムは部活に入る気もなく、『帰宅部』として家にさっさと帰るつもりだった。
しかしその道を塞ぐかのように、謎のアイドル体型の女性が彼と親友シロを連れ去ってしまう。
ガムは気がつくと倉庫のような部屋に…。
そんな戸惑うガムに女性は言った。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
と―――。
2011年秋に保管編を公開予定です。(都合により遅れる場合があります。)
芽高高校に入学した主人公ガムは部活に入る気もなく、『帰宅部』として家にさっさと帰るつもりだった。
しかしその道を塞ぐかのように、謎のアイドル体型の女性が彼と親友シロを連れ去ってしまう。
ガムは気がつくと倉庫のような部屋に…。
そんな戸惑うガムに女性は言った。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
と―――。
帰宅部の事情 火月夜つむり
小さな頃、夢があったこと、今でも覚えていますか?
あの頃は何でも楽しかった、覚えていますか?
いつからだろ、
現実を見て、
周りに溶け込んで、
夢を忘れて。
あの頃の様にもう笑えないの?
そんなこと、ない―
ほら、今でも探せば、
『見れるさ』
まだ間に合うよ、追いかければ、
君には時間がある。
わずかだけど、とても長い―
長いけど、とても短い。
一瞬だけど大きな物。 きっと一生の宝物。
さぁ始めよう、君夢語り。
最初の一歩は怖いけど。
向こうにいる君の知らない、
仲間たちはきっと温かく迎えてくれるはずさ。
そして背中押してくれるよ、夢の果てまで。
追い風のように―。
********
この物語はフィクションであり、実在の実在、企業や団体等とは一切関係ありません。
********
0)
「えー、であるからして、この学校の生徒として誇りを持って、精一杯頑張って欲しいと――」
春休みも開けた。
空 を舞う風も、もう冬のように鋭く冷たいものではない。
窓から注ぎ、顔を撫でる度にうとうと、と心地良い気持ちになる。
それに加えて、五十代後半ぐらいの白髪混じりの校長先生ののんびりした声は、さらに夢の世界に誘うようだ。
今日、芽高 高校は入学式を迎えた。
天井高く、木製の床が広がる体育館にびっしりと並べられたパイプ椅子の上、真新しい制服が光る新入生たちが、胸の中で期待と不安を静かに膨らます。
緊張して固まっている者も。
まだか、まだか、とそわそわする者も。
見事に校長先生の催眠術にかかる者も、皆――。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
この芽高高校でいよいよ、新たな学校生活が始まるのだ――。
********
1)
「――以上、私からの話は終わります。 良い学校生活を送ってください」
校長先生がお辞儀をし、長い長い入学式は終わった。
クラスも発表され、ホームルームで担任や新たな仲間と顔を合わせた新入生たち。
普通ならば、彼らはここで下校となるが、部活が盛んなこの芽高高校では、個人の自由で見学の時間となる。
各部としては後の新たな部員を集めるための、大規模な勧誘合戦の時間でもある。 その手段も多彩で、ポスターやビラ、大段幕にパフォーマンス、直接声をかけたり、とにかく校舎を走り回ったり、その他もろもろ。 とにかく部員総出でありとあらゆる手を尽くす。
おかげで長い廊下は展覧会のように絵が並び、昇校口は獲物を引きずり込む黒い人の大海原となる。
活気があるのはいいのだが、ここまでくると――。
そう思う人もいるだろう。
少なくとも廊下に、ド派手なポスターを興味のなさそうに眺めている男子が一人いる。
名前は、神田 忠音 。 忠音が『ちゅういん』とも呼べるので、チューインガムからあだ名はガム。
顔が中性的で、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめているので私服の際、たまに女子と間違えられること以外はこれといって特徴はない。
勉強もそこそこの成績。 運動もそこそこできて、ゲームやマンガもそこそこ好き。
どこにでもいる新一年生だ。
「メンドくさ…。 こういうのって、金だけ使って無駄な時間だよな」
ガムはフッ、と鼻で笑うとポスターから背を向ける。
そして家に帰るのが一番、と思い歩き出すと――
「うぉぉぉらぁぁ!! 待てや、ガム!!!」
ドゴォォォォ!!
後ろから大きな声と共に強烈な痛みが走り、吹き飛ばされた。
その勢いのまま床に叩き付けられ、ゴロゴロと転がる。
「痛えぇ!! 何すんだよ、シロ!」
ガムがよろける足でゆっくりと立ち上がり、殺気立った眼で見つめる先には綺麗な茶髪の少年が。
「お前が俺様をほって帰ろうとするから悪いねやんか!」
その少年は謝る気なんて無しの、威張った態度をとっている。
関西なまりが特徴的な彼は、神美 白智湖 。 あだ名はシロ。 ガムが小学生の頃からの付き合いで、いわゆる悪友というやつだ。
一言で表せば、『ちゃらいヤツ』。
「んー? ガムはビラを見つめて何をしていたん?
シロは乱れた自称染めていない髪を整え、コロッと態度を変えて言う。
ガムはいつものことだ、と気にも止めず、別に何でもねぇよ、と適当に答えた。
それに付け加えて問う。
「シロこそ、遅かったじゃん? 何してたんだよ?」
「ふふん、よーく耳かっぽじって聴けよ?」
シロはニヤニヤと時代劇の悪人みたいな汚い笑みを浮かべると、腰に手を当てた。 そして自慢げに言う。
「俺様、吹奏楽部に入ることにっ――」
「アホくさ、帰ろ帰ろ」
「ちょい待て、人の話は最後まで聴けや!?」
ガムは、シロが全部言い終わる前にそっぽを向いてさっさと昇校口の靴箱へと歩き出した。
慌ててシロも小走り気味に追いかけ――
「でさー、吹奏楽の女子の先輩にめちゃくちゃ可愛い人がいるねんけどー」
「しつこっ!? てか、大体お前、お玉杓子読めないだろ!?」
「んなもん、愛さえあれば何とかなるもんやろ?」
――アー、ダメダコイツ、ウザイ。
小バエのように纏わり付いてくるシロに対して深い溜息をつくガム。 もう逃げる気も起きなかった。
そんなこともお構いなしに、シロの舌はいつもよりも多めに回ること、回ること。
耳を塞ぎたくなるが、遮るかの様にその舌がふと聞く。
「ガムは何か部活やらへんのか?」
ガムは、ハッ! と鼻で笑った。
「部活? あぁ、決めたよ! やっぱり帰宅部だろ!」
――もうどうにでもなれ。 オレは早く帰りたいんだ!
彼の放った言葉は、そんな気持ちに満ち溢れていた。
しかし、この一言が思わぬ展開となる。
「帰宅部? 帰宅部って言った…!?」
ブワッ!!
ガムは奇妙な悪寒を感じた。
全身から気持ち悪い汗が一気に吹き出す。
シロかと思って、隣を見るが小バエの羽音も静まり返っていた。
顔が真っ青だ。
さっきの何だったんだ? と、ガムは口元に手を当てて、そう思った時――
「よっしゃぁぁぁ!! 新入部員ゲットぉぉぉ!!」
「「っ?!!!」」
突然、目の前から女の人が獲物を狙うチーターのように二人に迫り、首元に喰らいついて一瞬のうちに連れ去ってしまった。
窓の外では強い風が吹き始め、桜の花びらが空を飛んでいた――。
********
2)
少しばかりか、意識を失っていたのだろうか。
気がつけば二人は、薄暗い部屋の床に転がっていた。
「痛っ、ここは何処だ…?」
ガムはゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。
部屋は埃っぽく、使われていない倉庫に机や本棚などを持ち込んだようだった。
部屋の隅のほうに何やらよくわからない物が山になっているが――、ガムは気にしないことにする。
「…てか、いつまでぶっ倒れてるつもりだよ、シロ?」
ガムは足元でうずくまるシロを見下して言う。
「よ、酔った…。 き、気持ち悪っ…」
「おい、吐くなよ?」
シロは真っ青の顔でぐったりした様子だ。
原因はさっきの女の人か、と噂をすれば、ガラガラとドアが開く音がした。
ガムが振り向くと予想通りの展開――そう、あの女の人。
流れるような美しい黒髪のストレートで、整った小顔。 制服の上からでもわかる豊満な胸に、透き通るような白く長い美脚。
アイドル体型というのは、まさにこのことだ。
ガムは少しの間、口を開けたまま彼女を見つめ、動きを止める。
その理由は美しさからか、はたまた恐怖からか――
「俺、神美 白智湖と言います! 貴女のお名前は!?」
「って、シロ、おい」
なんて、ガムが思っているうちに、酔いは何処に行ったか、シロが盛りついた犬のごとく女の人にナンパを始めているではないか。
当然、女の人は苦笑い。
「あ、えーと、私は水野 羊音 。 三年生よ」
羊音と名乗る彼女は、シロを適当にあしらうと中に入り、部屋の中央にある大きな机に腰をかける。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
「帰宅部…?」
彼女の言葉にガムが疑問を口にする。
「あの、オレは神田 忠音。 えと、帰宅部って一体どういうこと何ですか…?」
その答えはドアのほうから返ってきた。
「そのままの意味よ。 帰宅するための部活。 だから帰宅部よ」
声の持ち主は、本を手に持った小さな女の子だった。
一見すると、小学生のよう。
「あら、お帰りなさい、ここあちゃん」
ここあちゃん、と女の人に呼ばれる少女は黒髪を頭の左で束ねていた。
何やら機嫌の悪い雰囲気を出しているのだが。
「わたしは密比菜 心愛 。 一応、ここに入部した一年生よ」
ここあちゃんがそう自己紹介をすると、真っ先に喰らいついたのは、言うまでもなく。
「ここあちゃん! なんてかわいらしい名前なんや! 是非、俺様と――」
ドゴォォォッ!!
犬ッコロの遠吠えが鈍い音に掻き消される。
気がつくと、ここあちゃんが手に持った本の角という名の凶器で、的確にシロの喉を付いていた。
その速さ、一瞬――。
「野郎の分際で近づくな! 死ね、変態っ!」
彼女はとどめに毒を吐くと、シロは崩れ落ちた。
ふんっ! と冷たい表情を見せると、ここあちゃんは足元に転がるゴミのようにシロを踏み付けて中に入る。
神美 白智湖、本日、二連敗。
「ラムネ先輩、なんで男子なんか入れたんですか? わたし、男の人が嫌いって言ったじゃないですか」
「まぁまぁ、ここあちゃん、落ち着いて…。 あと、そのあだ名で呼ばないでよ」
羊=ラム。 音は『ね』と呼べる。 だからラムネ、か。 確かに呼ばれていいあだ名ではない。
何だか急展開の連続で、どんどん話が反れているような気がする。 ――とにかく話を戻そう。
ガムは一旦落ち着いてから、帰宅部を名乗る二人に次の質問を言う。
「帰宅部って、部活に入ってないこと…ですよね? でも、ここは部室もあるし…?」
普通、帰宅部というのは彼が言う通り、『部活動をやっていない。』 『どの部にも所属していない。』ということを遠回しに言った言葉だ。
しかしその問いに、ラムネ先輩は意外な答えを口にする。
「そう、一般的な意味は、ね? でもこの学校では、それを『帰宅組』って言うわ。 『帰宅部』というものは、正式あるのよ!」
――ぶっ飛んだ発言だ。
ガムはそう思ったが、ふと思い出す。 それは入学式での説明会だ。
この学校では部活が盛んで、生徒会への申請が通れば、好きな部活が立ち上げることができるとか何とか。
そんなことを誰かが舞台の上で言っていたような。 ガムはうたた寝もしていたので、興味などなおさら示さなかったのだが。
そして頭によぎったのは、しまった…! という一言。
ガムの額から汗がこぼれ落ちる。
「君、部活といえば、帰宅部…とか、そんな感じのこと言ってなかったっけ?」
先輩が足を組み、ニコニコと黒い笑みを浮かべた。
そう、はめられていたのだ。 初めから。
「え、えと……、失礼しましたぁ!!」
バッ!! と、とっさにドアへ駆け出すガム。
しかし、それ以降の記憶はなく、帰るころには猛烈な頭痛と入部届けが残っていた――。
********
3)
次の日の放課後。
無理矢理入れられた部だ。 行く義理もない。
そう思ってガムは靴箱へ直行――しようと思ったのだが、不幸にも同じクラスだったここあちゃんにその道を塞がれたのだ。
「男嫌いじゃなかったの…?」
「入っちゃったのだからしょうがないじゃない…。 だから、サボったら殺す」
その発言が冗談に聞こえないのもあって、なんだかんだで今日も帰宅部の部室に来てしまった。
帰宅部の部室はとある階段の下に設けられた収納スペースだ。
天井も結構高く、部屋としても十分機能している。
あえて文句を言うならば、窓がないので空気が悪く、埃っぽいことだろうか。
「よぉ、ガム! お前も来たんか!」
ガムとここあちゃんが部室の扉の前で立っていると、シロが階段の手摺りからひょっこり顔を出していた。
シロも昨日、気がつくと入部することになっていたらしい。
「うひょー! ここあちゃん、今日もかわい…グフッ!」
「だから男子は近づかないで!」
しかし彼は、今日も顔に本が減り込んでいるが、アイドル体型の先輩と幼女体型の同級生がいるから満足なのだろう。
ガムは、はぁ…と深い溜息。
馬鹿は幸せでいいな、と。
とにかく今日からいよいよ、部活動が始まるのだ。
ガムは気が進まないが、重い鉄のドアを横引くと、昨日のようにラムネ先輩が椅子でなく、机に腰をかけているのが見えた。
「よっ! 新入生たち!」
ラムネ先輩が明るく手を振る。
この帰宅部は、三年生のラムネ先輩を部長とし、二年生は居ず、残りは新入生のガム、シロ、ここあちゃんの三人だけ。
ラムネ先輩が今年から新たに立ち上げた部らしいが、思った以上に人が集まらなかったようだ。 部活として成り立つ最低限の人数でのスタートとなった。
「それで、帰宅部って何をするんです?」
四人が中央の机を囲むように座ると、真っ先にガムがラムネ先輩に問う。
「あぁ、それを今日は今から考えるのだよ」
えっ…? と、意外な答えを真顔で先輩は答えたので、ガムは戸惑った。
それを見て、ラムネ先輩は付け足すように言う。
「確かに生徒会には『いろんなことを自由にする部』的なことを書いて申請したけど、はっきり言って何も考えてないのよ。 始めだし、こんなものじゃない?」
「まぁ、確かに…」
始めだから、というのは納得できた。
しかし、ガムはこんな無計画な部を許可した生徒会に疑いの眼を向ける。
新たな一年の始まりは、そろそろ生徒会選挙の時期でもある。
次の生徒会はしっかりしてほしいものだ、と。
「じゃあ、今日は帰宅部の活動内容についての会議ということで!」
ラムネ先輩がそう言うと、ここあちゃんが部屋の隅で何やら怪しい動きをしている。
ガムが初めてこの部室に連れてこられて最初に気になった、あの山から、何かを探しているようだ。
しばらくすると、ガラガラと車輪を鳴らして大きなホワイトボードを持ってきた。
あの山から何処にこんなものが? と、ガムは思ったが、身の安全のためだ。 ツッコまないことにする。
部長がキュッキュッ! とペンでホワイトボードに『帰宅部 活動内容会議!』と大きく題を書くと、机をバンッ! と叩いて叫ぶ。
「何か『これぞ、帰宅部だ!』という意見はないか!? あ、『帰る』という意見はだめだぞ?」
――真っ先にそれらしいの潰してるじゃん!!
ガムは先輩の発言に対する、最大の矛盾に心中でツッコむ。
しかし、帰る以外に帰宅部にすることなんてあるのだろうか。
ガムがうーん、と腕を組んで悩んでいると、シロがスッ! と手を挙げる。
一番、考えがなさそうなヤツが手を挙げたので、一同が眼を丸くした。
そして、シロが立ち上がり、口を開く。
「お――、」
「却下」
秒殺。
ここあちゃんがシロが一人称を言い終える前に黙らしてしまったのだ。
シロはストンッ! と椅子に落下し、その勢いのまま、ガバッ! と、机に俯せてしまった。
あまりにも鮮やかな仕留め方だったので、ガムとラムネ先輩は思わず息を詰まらせる。
薄暗い部室には、重い空気が流れ出した。
「え、えーと…、気を取り直して、次に意見がある人…」
この空気を打破しようと、ラムネ先輩は苦笑いで精一杯の一言で切り出す。
しかし、先輩が求めるぶっ飛んだ意見が出るわけもなく――
「えぇ…、『帰る』?」
結局、ラムネ先輩自身が涙目ながらこの案にたどり着いてしまった。
********
4)
結局、勉強や読者、何でもないようなお喋りをして帰宅部の活動としていた。
ガムは気乗りしないが、なんだかんだで毎日、あの重い扉を開けていた。
その理由も様々。
ここあちゃんの脅迫されたり、シロと馬鹿騒ぎをしていたらいつの間にか、そしてラムネ先輩があの入学式の日のように――。
そうして早くも六月。
学生たちは新たな生活にも慣れ、夏休みも近づき、そろそろ中弛みの時期だ。
しかし、その時期に反するような『叫び声』が帰宅部部室には響いていた。
「ぬぉぉぉらぁぁぁあ!!!」
部室の中央に置かれていた机は端に寄せられ、置かれていたのは――。
「なんで、ランニングマシーンが運動部でもないのにあるんだよっ!?」
ガムは永遠に続く黒いベルトの道(ほぼMAXスピード)を全力で駆ける。
なぜなら命がかかっているのだから。
「ほら、口じゃなくて脚動かす!」
ガムの後ろで声をかけるラムネ先輩だが、その手に握られたのは、『釘バット』。
漫画で不良が持っているような、木製のバットにいくつもの釘が打ち込まれた鈍器の定番なアレだ。
もちろん、殴られたら言うまでもなく。
どうしてこうなったのか。
それは、数時間前に遡る――。
「おい、ガム。 何か出てきたで?」
「なんだよ、シロ? これは、ランニングマシーン…?」
部室の隅にある例の山。
あの中からは何が出てくるは全くわからない。
ラムネ先輩も詳しくないらしく、どうやら部室が倉庫として使われていた頃の物らしい。
「それにしたって、なんでランニングマシーンなんや…?」
「さぁ…?」
二人が謎の掘り出し物を眺めていると、ガラガラ! と、扉が開く。
「やっほー! ガム君! シロ君! 何してるの?」
入って来たのは、ラムネ先輩だった。
今日はいいことがあったのか、超ゴキゲンハイテンションだ。
「あ、ラムネ先輩。 なんかランニングマシーンが出てきたんや」
「ラムネ言うな! …って、おぉう!? この部室にこんなお宝が眠っていたとは…!!」
シロが説明すると、ラムネ先輩は眼をキラキラさせ、子供のような仕草でランニングマシーンを見つめる。
「コレ、動くの…?」
「さぁ…? 機械には疎いんでわかりませんわ…」
二人はジーッ、と機械とにらめっこしていたが、ふとガムのほうに振り向く。
えっ!? と不意打ちを受けたガムは、慌てて首を横に振る。
ガムもゲームとかパソコンとか、それなりに使うほうだが、特別機械に強いわけではない。
ましてやこういった物には、なおさら興味がない。
三人がうーん、と頭の上で沢山『?』を浮かべて唸っていると、また扉が開く音が。
「ちはー、先輩。 あと、糞野郎共二人。 今日は早いですねー」
やる気のなさそうな声で、ここあちゃんが入ってきた。
相変わらず手には紙のカバーがかけられた本を持ち、視線は常にそちらだ。
「あ、ここあちゃん、いいところに! コレ、動かせるかな?」
ラムネ先輩が期待を込めて声をかけると、ここあちゃんは目線だけコチラを向ける。
「ランニングマシーン…ですか。 まぁ、できないこともないですけど」
彼女はそう言うと、本と鞄を机に置き、ゆっくりと問題の物に近づく。
それからグルリと一周して観察すると、コンセントを手に取り、壁にある差し込み口へ。
ピーッ!
ランニングマシーンが、その身に電気が通ると濁った短い声を上げた。
ビクッ! と、驚いた三人は、思わず一歩下がる。
「おぉう!? なんか鳴ったけど、大丈夫なの?」
オロオロするラムネ先輩。
「大丈夫、多分、起動音です。 壊れていたら、そもそも音も鳴りませんよ」
それを冷静にツッコむここあちゃん。
ラムネ先輩はいわゆる機械の操作を誤ると爆発する―そんなことを考える人なのだな、とガムは見る。
ピッ、ピッ、と手際よくボタンを叩き、操作ある程度理解したのか、なるほど、とつぶやいたここあちゃんは、シロのほうを向いて手招き。
「ここ、乗って」
「ん? なんや!? 俺様にお願い事!? しょうがないなー!」
滅多にないここあちゃんからの頼みもあって、シロは満面の笑みを浮かべてランニングマシーンに飛び乗る。
そして――
「死ね」
「え?」
ピッ!
ここあちゃんがボソッ、と小声でつぶやくと、ランニングマシーンが軽い音を鳴らす。
マシーンの黒いベルトの道が滑り出し、クォォォォン!! という音を立ててモーターがフル稼動してどんどん加速していく。
「な、なんや、速ないか?」
女の子にボコボコにされても立ち上がるぐらいにタフなシロだが、今回は違和感を感じた。
手前にあるマシーンの画面へ目を落とす――
『SPEED:MAX』
「……っ!? ちょ、ここあちゃ―」
シロが気づいた頃にはもう遅く、ランニングマシーンは限界速度に達する。
顔を歪め、全力で脚を前へと振るがそれも虚しく、氷の上で足をくじいたように彼は崩れ落ちる――。
グチャ。
何やら部活では無縁の音が響いた。
「あ、死んだ」
ここあちゃんはギャァァァ! と、音を立てる凶器と化した機械の前に倒れている物を見下ろし、珍しく嬉しそう。 相変わらず彼女の男嫌いは本物だ。
ガムは苦笑いするしかなかった。
「シロ、ご愁傷様だぜ…って、先輩何処行った?」
気がつくと、ラムネ先輩もあの山に顔を突っ込み何かをあさっている。
「あった、あった! 懐かしい!!」
そう嬉しそうな声を出して手に取った物は――釘バット。
当然、いいイメージはしない。
ラムネ先輩はその鈍器をくるりと回し、笑顔でガムに言う。
「いいこと思い付いたの! 帰宅部って、やっぱり早く帰れるようにしないといけないと思うの。 だから駅まで早く歩くためにも、脚の筋力は必要だよね?」
「え、えーと、オレ、自転車通学なんで……、帰りますっ!!」
バッ!! と、とっさにドアに駆け出すガム。
しかし、その道を遮るここあちゃん。
「自転車にも、脚の筋力はいる」
「あは、あは、あはははは…ですよねぇ…?」
――そんなわけで。
「ちょっと、落ちそうになってるよ! もっと脚を動かす!」
「もう無理! 死ぬ! 絶対死ぬっ!」
もうそろそろ、ガムの脚は限界だ。
学校では絶対にありえない、赤い世界はもうすぐそこ。(正しくは、すでに少しだけ広がっているが。)
もしこの世界を生徒会に見つかったら確実に廃部だ。
いや、ガムにとっては都合がいいが、命と引き換えるわけにはいかない。
今月に入り、生徒会役員は一新された。
中でも生徒会長、西園寺 博文は正義感が強く、副会長の犬養 千里と共によく見回りをしているらしい。
――もしかしたら、帰宅部史上、いやオレの人生史上最大のピンチ?
そうガムの頭によぎった。
次の瞬間――
ガラガラッ!
部室のドアが勢いよく開く。
立っているのは、案の定。
生徒会会長の目には、この風景がどう映るだろう。
フル稼動するランニングマシーン、
泣きながら走り続ける少年、
それを見て微笑む幼女、
床に転がる赤い物体、
そしてアイドルなお姉さんが構える釘バット。
部室には重い機械音と、足音だけが響く。
――終わった! この部は終わった!
ガムは思った。 もう笑うしかない、どうにでもなれ。
しかし生徒会は、失礼しましたっ! の一言だけを残して、バンッ! と慌ててドア閉めて去っていった。
「え…?」
予想外の展開に部員皆が眼を丸くする。
ガムも思わず脚を止め――
――ぶすっ、ぐちゃ。
********
5)
梅雨も明け、陽射しも夏らしくなってきた。
青空が広がり、綿菓子のような入道雲が流れる。
七月。
夏休みも直前で、どの部も大会で忙しくなる時期だが、帰宅部にそんな一大イベントがあるわけもなく、窓のない薄暗い部室変わらない日々を過ごしていた。
今日を除いては。
「よーし! 今日は清掃活動だぁ!!」
暑い昼下がり、さらに気温を上げるようなテンションでジャージ姿のラムネ先輩が両手を空に突き出して叫ぶ。
今日は学期末に行われている清掃活動の日だ。
この芽高高校では、生徒会と運動部、個人のボランティアで通学路の清掃活動を行っている。
あのランニングマシーン事件の後、ラムネ先輩は帰宅部が廃部にならないか、かなり悩んでいたらしい。
この清掃活動で、生徒会にいいところをアピールしよう、という手のようだ。
「暑いのに、ラムネ先輩は元気ですねー…」
長い長いコンクリートの道の向こうは、ユラユラと揺れている。
そんな道の側面にある排水溝から、空き缶を拾い上げてゴミ袋に放り込むガムが、面倒臭さそうに言う。
「ラムネ言うな! いい、ガム君? こういうのは、楽しんだもの勝ちなんだから!」
「楽しんだもの勝ち…ですか?」
ラムネ先輩は、早くも開始十分で支給されたゴミ袋一つを一杯にし、ガムの袋にまでゴミを放り込む勢い。
その仕草は小さな子供のようで、笑顔いっぱいだった。
ガムにとっては何が楽しいかわからない。
「なんで先輩は熱心で、いつも楽しそうなんだろう…」
ガムはふと思った疑問をつぶやく。
毎日毎日、部活に通って、楽しそうに笑っている。
ガムには理解できなかった。 とても不思議な気持ちだった。
胸の奥がモヤモヤとする。
「ていうか、ラムネ先輩は受験勉強とかしなくていいんですか?」
ガムが学生では誰でもするような話題をラムネ先輩に振った。
それに彼女はあっさり答える。
「私は専門学校だもん♪ てか、ラムネって言うなぁ!」
ラムネ先輩はぶんぶんっ! と腕を振り、本当に小さな子供のようだ。
「ガム君こそ、進路とか、将来の夢とかあるの?」
今度はラムネ先輩から、ガムに問い掛ける。
「オレには夢とかないですよ。 やりたいことも特にないですし」
ガムもまたあっさり答えた。
それを聞いて、先輩は言う。
「そっかぁ、でもきっと見つかるよ! ガム君のしたいこと!」
「はぁ…、そんなものですかね?」
「そんなものだよ! 人生って」
やっぱり先輩の言うことはわからない。
ガムは適当な返事をして、また一つ空っぽの缶をゴミ袋に入れる。 自分の夢のような缶を。
と、その時。
「お嬢さん! 俺様と一緒にゴミを集めへんか!? ついでに俺様たちの愛も!」
何者かに声を掛けられ、バッ! と手を捕まれる。
「おい、シロ。 オレは男だ…」
「なんや、ガムか…。 ジャージ着てたら後ろ姿が女に見えるわ」
声の持ち主はシロだった。
シロは、チッ! と舌打ちをして、ガムの手を払う。
当然、女と間違えられ、舌打ちまでされたほうはいい気分ではない。
確かに顔が中性的、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめている人がジャージを着ていれば、女の子と間違われてもしょうがないことは、本人が一番自覚しているのだが。
「シロ、ちょっとコッチ向け」
「なんや?」
ガムがちゃら男をしっかりと正面に向かせる。
そして次の瞬間――
「歯ぁ、食いしばれよっ!」
「っ?!!」
ドゴォォォッ!!
ガムがシロの顔面を全力で殴り飛ばした。
シロの顔が歪み、宙を舞い、グシャァッ! と、真夏の道端に沈む。
ガムは手の埃をパンパン、と払い、ふぅー、と短く息を吐く。
しかしどこか不満げな顔。 どこかスッキリしない気分。
――わからねぇ、何なんだ、この気持ち。
空模様が何だか急に悪くなってきた。
分厚い雲が、太陽の陽射しを遮る。
やがて雨が降り出し、学生たちの手も止めた。
――なんだってんだよ…。
「ガム! ガム! 帰ろっ!」
「っ!?」
ふと、ガムが気づくとここあちゃんが顔を覗くようにして、名前を呼んでいた。
彼女に呼び掛けられて、ガムはようやく今の状況に気づく。
「清掃活動は中止だって。 帰ろ?」
「あ、あぁ……」
まだガムは少しボーッとした様子で、とりあえずの生返事をする。
それを受けて、どうしたの? と、珍しく男嫌いのここあちゃんが聞くので、慌てて、なんでもない! と、首を横に振った。
「ふーん…、まぁ、私には関係からいいけど。 でも…」
「…?」
本当に珍しい。
喋り方はいつもの調子だが、今日のここあちゃんは、妙に話を振ってくる。
疑問に思ったガムが、どうしたの? と聞くと、さらに珍しく、顔を少しばかりか赤らめて、恥ずかしそうな仕草を見せた。
そして、口を動かす――
「ジャージ姿は、いいね…。 嫌いじゃないかも」
「それって、オレが女っぽいってことですか?」
内心、若干だったが少し期待をしたガム。
ここあちゃんも女子(女っぽいのも可)に対しては、こんなに態度が違うのか、と。
そんなガムは心中で叫ぶ。
――オレが馬鹿でした。
********
行間1)
部活が終わり、下校をするころには雨も上がり、空は綺麗な茜色に染まっていた。
ガムとシロも赤く染まり、二人はコンクリートの道を自転車で駆ける。
シロは妹がダッツをどうとか、と一人で騒いでいるがガムは気にも止めない。
「なぁ、シロ?」
ふと、ガムが茶髪を風に揺らすシロに問う。
「なんや?」
シロも少し元気のないガムに問い返す。
「なんで、ラムネ先輩ってあんなに頑張っているのかな? あんなに笑っているのかな?」
ちょっと変わった質問だった。
ガムもどうしてこんなことを言ったのか、わかっていない。
ただ、胸の奥で何かがモヤモヤと渦を巻く――。
シロは、そうやなー、と少し考え、答えた。
「部活が楽しいんちゃう? 俺もよぉわからへんけど、部活が楽しいから一生懸命頑張るのは、当たり前のことちゃうかな?」
「当たり前…」
ガムは、やはりよくわからなかった。
今まで十六年間生きてきたが、何かを頑張って楽しかった――そんな記憶はない。
忘れているだけかもしれない。 しかし、少なくとも今はわからない。
「まぁ、楽しんだもん勝ちや! 確かに俺も先輩に無理矢理入れられたわけやけど、今はすげぇ楽しいで!」
「楽しんだもの勝ち…か」
ラムネ先輩も同じことを言っていたような気がする。
ガムの胸の奥で、さらに渦が大きくなる。
夕焼けの空の下、温かい風が吹く。
しかし、ガムには少し寒く感じた。
********
6)
夏休みが明け、九月。
どこの部も三年生が引退し、受験勉強の重い空気が漂い始める時期。
しかし帰宅部では、専門学校希望のラムネ先輩は相変わらず毎日机の上に腰かけている。
ただ、別の意味で、重い空気が流れ始めていた――。
「うーん…、大丈夫かな…」
今日一番に来たラムネ先輩は、いつもの机の上で一枚の紙とにらめっこをしていた。
後からガラガラと扉が開き、一年生三人組が入ってくる。
「ちはー。 ラムネ先輩どうしたんですか?」
真っ先に気づいたのは、ここあちゃんだった。
ラムネ先輩は、いつもみたいにあだ名に対するツッコみはいれず、ただ、あぁ…、とつぶやいて手に持つ紙を三人に見せる。
「『部活動新設規制のお知らせ』? なんやコレ?」
シロが紙に印刷された文字を読む。
その内容は、最近、芽高高校は部が増えすぎて部費の予算が足りなくなってきているらしい。
そのため、部を新たに立ち上げるのを規制するというものだ。
それに加えて、あまり実績のない部は部費を減らしたり、部室を他の部に受け渡したり、最悪では廃部になる場合があるらしい。
「ここのところ、毎年、この時期になるとこのプリントが配られるのね…。 困ったなぁ…」
ラムネ先輩は、苦笑いで頬をかく。
確かに帰宅部は大会もない、文芸みたいに部誌も発行しないし、文化祭に出せるような物もない。
実際、勉強か遊んで帰るだけの部。 そんなこと、家に帰ってからでもできる。
部活が乗り気ではないガムには、都合のいい話だ。 このまま廃部になれば、無理矢理、毎日ここに通う必要もない。
しかし、なぜだかわからないが、心から喜べなかった。
一学期からずっと、黒い渦が巻き続けていた。
「しょうがない、頑張って生徒会にアピールし続けるしかないよね! みんな頑張ろう!」
そう明るくラムネ先輩が三人に声を掛けた。
その時――
「それはもう無理です」
バンッ! と突然、扉が勢いよく開き、銀髪で眼鏡をした男性が部室に遠慮なく入ってきたのだ。
「教頭先生…!」
ラムネ先輩が顔を強張らせて男性の正体を言った。
教頭先生は何やら深刻な顔付きで部室を見回し、そしてラムネ先輩を睨む。
「水野さん、この帰宅部を…いえ、元・萬部を今度こそ廃部にさせてもらいますよ?」
教頭先生から告げられたのは、残酷な宣告。
しかしラムネ先輩は、いつもにない必死な表情で、反論する。
「ダメです! この部は先輩たちが残してくれた、大切な居場所! 廃部なんかにはさせません!」
――『元・萬部』?
ガムの頭に疑問が浮かぶ。
「先輩、どういうことですか? この帰宅部は新たに立ち上げた部だったのでは…?」
ガムが問うと、答えは教頭先生が告げた。
「気づきましたか? この帰宅部は、去年の名前は『なんでも部』。 その前の年は、『萬部』だったんですよ」
「え…?」
ガム、そしてシロ、ここあちゃんも眼を丸くし、額から気持ち悪い汗が流れ落ちる。 胸の鼓動も早く打つ。
「廃部になるからって、登録名と活動場所を変えて存続させるとは…。 校則とまでは言いませんが、マナー違反ですよ」
教頭先生は衝撃の事実を突き付けると、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。
『廃部許可書』
生徒会公認の印も押されている。
「これを教員会議で出せば、この部は終わりです。 いい加減、諦めたらどうですか? 時に諦めることも大事なことですよ」
教頭先生からの、トドメの一撃。
ラムネ先輩の眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。
――なんだよ、これ。 こんなのありかよ?
また、ガムの心が大きくざわつき始める。
――こんなの、こんなのって…。
そして――
「先生、待ってください」
気がつくと、口が動いていた。
「いきなり諦めろ、って言われても、納得行きませんよ!」
よくわからない気持ちが爆発する。
「先生だって、いきなり仕事やめろと言われたら、納得いかないでしょう? 抗議するでしょう? 同じことですよ!」
――何、教師に反抗しているのだろう、オレ。 不良みたいじゃないか。
そう思う自分もいたが、ガムは止められなかった。
そんなガムの行動は、教頭先生に一つの案を出させる。
「いいでしょう、勝負をしましょうか。 あなたたちは、今は帰宅部です。 芽高高校から加茂芽 駅までの通学路で陸上部とリレーをしてもらいましょう。 もしあなたたちが勝ったら、廃部の件は無しにします」
「わかりました。 でも練習をする時間を下さい」
無茶苦茶な条件だった。 それでも、部が存続するには戦うしかない。
「いいでしょう。 では、一週間後に」
そう言って、教頭先生は部屋を出ていった。
張り詰めた空気が、一瞬のうちに緩む。
部屋は静まり返る。
「は、ははは…、ゴメン、先輩、みんな。 変な賭けに乗っちまった…」
ガムが崩れた笑顔と震えた声で、皆のほうを向く。
「いや、かっこよかったで」
それにシロが微笑み返す。
「まぁ、ガムのくせによくやったんじゃない?」
少し照れ臭そうに、ここあちゃんが言う。
「ううん…、ありがとう、ガム君!」
溢れる涙を拭って、ラムネ先輩が笑う。
さっきのガムは、いつものガムと違った。
三人共、少し驚いたが、あのやる気のないガムが、部活を守るために立ち向かったことが嬉しかった。
彼の心の中で、何かが変わろうとしていたのだ――。
********
小さな頃、夢があったこと、今でも覚えていますか?
あの頃は何でも楽しかった、覚えていますか?
いつからだろ、
現実を見て、
周りに溶け込んで、
夢を忘れて。
あの頃の様にもう笑えないの?
そんなこと、ない―
ほら、今でも探せば、
『見れるさ』
まだ間に合うよ、追いかければ、
君には時間がある。
わずかだけど、とても長い―
長いけど、とても短い。
一瞬だけど大きな物。 きっと一生の宝物。
さぁ始めよう、君夢語り。
最初の一歩は怖いけど。
向こうにいる君の知らない、
仲間たちはきっと温かく迎えてくれるはずさ。
そして背中押してくれるよ、夢の果てまで。
追い風のように―。
********
この物語はフィクションであり、実在の実在、企業や団体等とは一切関係ありません。
********
0)
「えー、であるからして、この学校の生徒として誇りを持って、精一杯頑張って欲しいと――」
春休みも開けた。
窓から注ぎ、顔を撫でる度にうとうと、と心地良い気持ちになる。
それに加えて、五十代後半ぐらいの白髪混じりの校長先生ののんびりした声は、さらに夢の世界に誘うようだ。
今日、
天井高く、木製の床が広がる体育館にびっしりと並べられたパイプ椅子の上、真新しい制服が光る新入生たちが、胸の中で期待と不安を静かに膨らます。
緊張して固まっている者も。
まだか、まだか、とそわそわする者も。
見事に校長先生の催眠術にかかる者も、皆――。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
この芽高高校でいよいよ、新たな学校生活が始まるのだ――。
********
1)
「――以上、私からの話は終わります。 良い学校生活を送ってください」
校長先生がお辞儀をし、長い長い入学式は終わった。
クラスも発表され、ホームルームで担任や新たな仲間と顔を合わせた新入生たち。
普通ならば、彼らはここで下校となるが、部活が盛んなこの芽高高校では、個人の自由で見学の時間となる。
各部としては後の新たな部員を集めるための、大規模な勧誘合戦の時間でもある。 その手段も多彩で、ポスターやビラ、大段幕にパフォーマンス、直接声をかけたり、とにかく校舎を走り回ったり、その他もろもろ。 とにかく部員総出でありとあらゆる手を尽くす。
おかげで長い廊下は展覧会のように絵が並び、昇校口は獲物を引きずり込む黒い人の大海原となる。
活気があるのはいいのだが、ここまでくると――。
そう思う人もいるだろう。
少なくとも廊下に、ド派手なポスターを興味のなさそうに眺めている男子が一人いる。
名前は、
顔が中性的で、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめているので私服の際、たまに女子と間違えられること以外はこれといって特徴はない。
勉強もそこそこの成績。 運動もそこそこできて、ゲームやマンガもそこそこ好き。
どこにでもいる新一年生だ。
「メンドくさ…。 こういうのって、金だけ使って無駄な時間だよな」
ガムはフッ、と鼻で笑うとポスターから背を向ける。
そして家に帰るのが一番、と思い歩き出すと――
「うぉぉぉらぁぁ!! 待てや、ガム!!!」
ドゴォォォォ!!
後ろから大きな声と共に強烈な痛みが走り、吹き飛ばされた。
その勢いのまま床に叩き付けられ、ゴロゴロと転がる。
「痛えぇ!! 何すんだよ、シロ!」
ガムがよろける足でゆっくりと立ち上がり、殺気立った眼で見つめる先には綺麗な茶髪の少年が。
「お前が俺様をほって帰ろうとするから悪いねやんか!」
その少年は謝る気なんて無しの、威張った態度をとっている。
関西なまりが特徴的な彼は、
一言で表せば、『ちゃらいヤツ』。
「んー? ガムはビラを見つめて何をしていたん?
シロは乱れた自称染めていない髪を整え、コロッと態度を変えて言う。
ガムはいつものことだ、と気にも止めず、別に何でもねぇよ、と適当に答えた。
それに付け加えて問う。
「シロこそ、遅かったじゃん? 何してたんだよ?」
「ふふん、よーく耳かっぽじって聴けよ?」
シロはニヤニヤと時代劇の悪人みたいな汚い笑みを浮かべると、腰に手を当てた。 そして自慢げに言う。
「俺様、吹奏楽部に入ることにっ――」
「アホくさ、帰ろ帰ろ」
「ちょい待て、人の話は最後まで聴けや!?」
ガムは、シロが全部言い終わる前にそっぽを向いてさっさと昇校口の靴箱へと歩き出した。
慌ててシロも小走り気味に追いかけ――
「でさー、吹奏楽の女子の先輩にめちゃくちゃ可愛い人がいるねんけどー」
「しつこっ!? てか、大体お前、お玉杓子読めないだろ!?」
「んなもん、愛さえあれば何とかなるもんやろ?」
――アー、ダメダコイツ、ウザイ。
小バエのように纏わり付いてくるシロに対して深い溜息をつくガム。 もう逃げる気も起きなかった。
そんなこともお構いなしに、シロの舌はいつもよりも多めに回ること、回ること。
耳を塞ぎたくなるが、遮るかの様にその舌がふと聞く。
「ガムは何か部活やらへんのか?」
ガムは、ハッ! と鼻で笑った。
「部活? あぁ、決めたよ! やっぱり帰宅部だろ!」
――もうどうにでもなれ。 オレは早く帰りたいんだ!
彼の放った言葉は、そんな気持ちに満ち溢れていた。
しかし、この一言が思わぬ展開となる。
「帰宅部? 帰宅部って言った…!?」
ブワッ!!
ガムは奇妙な悪寒を感じた。
全身から気持ち悪い汗が一気に吹き出す。
シロかと思って、隣を見るが小バエの羽音も静まり返っていた。
顔が真っ青だ。
さっきの何だったんだ? と、ガムは口元に手を当てて、そう思った時――
「よっしゃぁぁぁ!! 新入部員ゲットぉぉぉ!!」
「「っ?!!!」」
突然、目の前から女の人が獲物を狙うチーターのように二人に迫り、首元に喰らいついて一瞬のうちに連れ去ってしまった。
窓の外では強い風が吹き始め、桜の花びらが空を飛んでいた――。
********
2)
少しばかりか、意識を失っていたのだろうか。
気がつけば二人は、薄暗い部屋の床に転がっていた。
「痛っ、ここは何処だ…?」
ガムはゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。
部屋は埃っぽく、使われていない倉庫に机や本棚などを持ち込んだようだった。
部屋の隅のほうに何やらよくわからない物が山になっているが――、ガムは気にしないことにする。
「…てか、いつまでぶっ倒れてるつもりだよ、シロ?」
ガムは足元でうずくまるシロを見下して言う。
「よ、酔った…。 き、気持ち悪っ…」
「おい、吐くなよ?」
シロは真っ青の顔でぐったりした様子だ。
原因はさっきの女の人か、と噂をすれば、ガラガラとドアが開く音がした。
ガムが振り向くと予想通りの展開――そう、あの女の人。
流れるような美しい黒髪のストレートで、整った小顔。 制服の上からでもわかる豊満な胸に、透き通るような白く長い美脚。
アイドル体型というのは、まさにこのことだ。
ガムは少しの間、口を開けたまま彼女を見つめ、動きを止める。
その理由は美しさからか、はたまた恐怖からか――
「俺、神美 白智湖と言います! 貴女のお名前は!?」
「って、シロ、おい」
なんて、ガムが思っているうちに、酔いは何処に行ったか、シロが盛りついた犬のごとく女の人にナンパを始めているではないか。
当然、女の人は苦笑い。
「あ、えーと、私は
羊音と名乗る彼女は、シロを適当にあしらうと中に入り、部屋の中央にある大きな机に腰をかける。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
「帰宅部…?」
彼女の言葉にガムが疑問を口にする。
「あの、オレは神田 忠音。 えと、帰宅部って一体どういうこと何ですか…?」
その答えはドアのほうから返ってきた。
「そのままの意味よ。 帰宅するための部活。 だから帰宅部よ」
声の持ち主は、本を手に持った小さな女の子だった。
一見すると、小学生のよう。
「あら、お帰りなさい、ここあちゃん」
ここあちゃん、と女の人に呼ばれる少女は黒髪を頭の左で束ねていた。
何やら機嫌の悪い雰囲気を出しているのだが。
「わたしは
ここあちゃんがそう自己紹介をすると、真っ先に喰らいついたのは、言うまでもなく。
「ここあちゃん! なんてかわいらしい名前なんや! 是非、俺様と――」
ドゴォォォッ!!
犬ッコロの遠吠えが鈍い音に掻き消される。
気がつくと、ここあちゃんが手に持った本の角という名の凶器で、的確にシロの喉を付いていた。
その速さ、一瞬――。
「野郎の分際で近づくな! 死ね、変態っ!」
彼女はとどめに毒を吐くと、シロは崩れ落ちた。
ふんっ! と冷たい表情を見せると、ここあちゃんは足元に転がるゴミのようにシロを踏み付けて中に入る。
神美 白智湖、本日、二連敗。
「ラムネ先輩、なんで男子なんか入れたんですか? わたし、男の人が嫌いって言ったじゃないですか」
「まぁまぁ、ここあちゃん、落ち着いて…。 あと、そのあだ名で呼ばないでよ」
羊=ラム。 音は『ね』と呼べる。 だからラムネ、か。 確かに呼ばれていいあだ名ではない。
何だか急展開の連続で、どんどん話が反れているような気がする。 ――とにかく話を戻そう。
ガムは一旦落ち着いてから、帰宅部を名乗る二人に次の質問を言う。
「帰宅部って、部活に入ってないこと…ですよね? でも、ここは部室もあるし…?」
普通、帰宅部というのは彼が言う通り、『部活動をやっていない。』 『どの部にも所属していない。』ということを遠回しに言った言葉だ。
しかしその問いに、ラムネ先輩は意外な答えを口にする。
「そう、一般的な意味は、ね? でもこの学校では、それを『帰宅組』って言うわ。 『帰宅部』というものは、正式あるのよ!」
――ぶっ飛んだ発言だ。
ガムはそう思ったが、ふと思い出す。 それは入学式での説明会だ。
この学校では部活が盛んで、生徒会への申請が通れば、好きな部活が立ち上げることができるとか何とか。
そんなことを誰かが舞台の上で言っていたような。 ガムはうたた寝もしていたので、興味などなおさら示さなかったのだが。
そして頭によぎったのは、しまった…! という一言。
ガムの額から汗がこぼれ落ちる。
「君、部活といえば、帰宅部…とか、そんな感じのこと言ってなかったっけ?」
先輩が足を組み、ニコニコと黒い笑みを浮かべた。
そう、はめられていたのだ。 初めから。
「え、えと……、失礼しましたぁ!!」
バッ!! と、とっさにドアへ駆け出すガム。
しかし、それ以降の記憶はなく、帰るころには猛烈な頭痛と入部届けが残っていた――。
********
3)
次の日の放課後。
無理矢理入れられた部だ。 行く義理もない。
そう思ってガムは靴箱へ直行――しようと思ったのだが、不幸にも同じクラスだったここあちゃんにその道を塞がれたのだ。
「男嫌いじゃなかったの…?」
「入っちゃったのだからしょうがないじゃない…。 だから、サボったら殺す」
その発言が冗談に聞こえないのもあって、なんだかんだで今日も帰宅部の部室に来てしまった。
帰宅部の部室はとある階段の下に設けられた収納スペースだ。
天井も結構高く、部屋としても十分機能している。
あえて文句を言うならば、窓がないので空気が悪く、埃っぽいことだろうか。
「よぉ、ガム! お前も来たんか!」
ガムとここあちゃんが部室の扉の前で立っていると、シロが階段の手摺りからひょっこり顔を出していた。
シロも昨日、気がつくと入部することになっていたらしい。
「うひょー! ここあちゃん、今日もかわい…グフッ!」
「だから男子は近づかないで!」
しかし彼は、今日も顔に本が減り込んでいるが、アイドル体型の先輩と幼女体型の同級生がいるから満足なのだろう。
ガムは、はぁ…と深い溜息。
馬鹿は幸せでいいな、と。
とにかく今日からいよいよ、部活動が始まるのだ。
ガムは気が進まないが、重い鉄のドアを横引くと、昨日のようにラムネ先輩が椅子でなく、机に腰をかけているのが見えた。
「よっ! 新入生たち!」
ラムネ先輩が明るく手を振る。
この帰宅部は、三年生のラムネ先輩を部長とし、二年生は居ず、残りは新入生のガム、シロ、ここあちゃんの三人だけ。
ラムネ先輩が今年から新たに立ち上げた部らしいが、思った以上に人が集まらなかったようだ。 部活として成り立つ最低限の人数でのスタートとなった。
「それで、帰宅部って何をするんです?」
四人が中央の机を囲むように座ると、真っ先にガムがラムネ先輩に問う。
「あぁ、それを今日は今から考えるのだよ」
えっ…? と、意外な答えを真顔で先輩は答えたので、ガムは戸惑った。
それを見て、ラムネ先輩は付け足すように言う。
「確かに生徒会には『いろんなことを自由にする部』的なことを書いて申請したけど、はっきり言って何も考えてないのよ。 始めだし、こんなものじゃない?」
「まぁ、確かに…」
始めだから、というのは納得できた。
しかし、ガムはこんな無計画な部を許可した生徒会に疑いの眼を向ける。
新たな一年の始まりは、そろそろ生徒会選挙の時期でもある。
次の生徒会はしっかりしてほしいものだ、と。
「じゃあ、今日は帰宅部の活動内容についての会議ということで!」
ラムネ先輩がそう言うと、ここあちゃんが部屋の隅で何やら怪しい動きをしている。
ガムが初めてこの部室に連れてこられて最初に気になった、あの山から、何かを探しているようだ。
しばらくすると、ガラガラと車輪を鳴らして大きなホワイトボードを持ってきた。
あの山から何処にこんなものが? と、ガムは思ったが、身の安全のためだ。 ツッコまないことにする。
部長がキュッキュッ! とペンでホワイトボードに『帰宅部 活動内容会議!』と大きく題を書くと、机をバンッ! と叩いて叫ぶ。
「何か『これぞ、帰宅部だ!』という意見はないか!? あ、『帰る』という意見はだめだぞ?」
――真っ先にそれらしいの潰してるじゃん!!
ガムは先輩の発言に対する、最大の矛盾に心中でツッコむ。
しかし、帰る以外に帰宅部にすることなんてあるのだろうか。
ガムがうーん、と腕を組んで悩んでいると、シロがスッ! と手を挙げる。
一番、考えがなさそうなヤツが手を挙げたので、一同が眼を丸くした。
そして、シロが立ち上がり、口を開く。
「お――、」
「却下」
秒殺。
ここあちゃんがシロが一人称を言い終える前に黙らしてしまったのだ。
シロはストンッ! と椅子に落下し、その勢いのまま、ガバッ! と、机に俯せてしまった。
あまりにも鮮やかな仕留め方だったので、ガムとラムネ先輩は思わず息を詰まらせる。
薄暗い部室には、重い空気が流れ出した。
「え、えーと…、気を取り直して、次に意見がある人…」
この空気を打破しようと、ラムネ先輩は苦笑いで精一杯の一言で切り出す。
しかし、先輩が求めるぶっ飛んだ意見が出るわけもなく――
「えぇ…、『帰る』?」
結局、ラムネ先輩自身が涙目ながらこの案にたどり着いてしまった。
********
4)
結局、勉強や読者、何でもないようなお喋りをして帰宅部の活動としていた。
ガムは気乗りしないが、なんだかんだで毎日、あの重い扉を開けていた。
その理由も様々。
ここあちゃんの脅迫されたり、シロと馬鹿騒ぎをしていたらいつの間にか、そしてラムネ先輩があの入学式の日のように――。
そうして早くも六月。
学生たちは新たな生活にも慣れ、夏休みも近づき、そろそろ中弛みの時期だ。
しかし、その時期に反するような『叫び声』が帰宅部部室には響いていた。
「ぬぉぉぉらぁぁぁあ!!!」
部室の中央に置かれていた机は端に寄せられ、置かれていたのは――。
「なんで、ランニングマシーンが運動部でもないのにあるんだよっ!?」
ガムは永遠に続く黒いベルトの道(ほぼMAXスピード)を全力で駆ける。
なぜなら命がかかっているのだから。
「ほら、口じゃなくて脚動かす!」
ガムの後ろで声をかけるラムネ先輩だが、その手に握られたのは、『釘バット』。
漫画で不良が持っているような、木製のバットにいくつもの釘が打ち込まれた鈍器の定番なアレだ。
もちろん、殴られたら言うまでもなく。
どうしてこうなったのか。
それは、数時間前に遡る――。
「おい、ガム。 何か出てきたで?」
「なんだよ、シロ? これは、ランニングマシーン…?」
部室の隅にある例の山。
あの中からは何が出てくるは全くわからない。
ラムネ先輩も詳しくないらしく、どうやら部室が倉庫として使われていた頃の物らしい。
「それにしたって、なんでランニングマシーンなんや…?」
「さぁ…?」
二人が謎の掘り出し物を眺めていると、ガラガラ! と、扉が開く。
「やっほー! ガム君! シロ君! 何してるの?」
入って来たのは、ラムネ先輩だった。
今日はいいことがあったのか、超ゴキゲンハイテンションだ。
「あ、ラムネ先輩。 なんかランニングマシーンが出てきたんや」
「ラムネ言うな! …って、おぉう!? この部室にこんなお宝が眠っていたとは…!!」
シロが説明すると、ラムネ先輩は眼をキラキラさせ、子供のような仕草でランニングマシーンを見つめる。
「コレ、動くの…?」
「さぁ…? 機械には疎いんでわかりませんわ…」
二人はジーッ、と機械とにらめっこしていたが、ふとガムのほうに振り向く。
えっ!? と不意打ちを受けたガムは、慌てて首を横に振る。
ガムもゲームとかパソコンとか、それなりに使うほうだが、特別機械に強いわけではない。
ましてやこういった物には、なおさら興味がない。
三人がうーん、と頭の上で沢山『?』を浮かべて唸っていると、また扉が開く音が。
「ちはー、先輩。 あと、糞野郎共二人。 今日は早いですねー」
やる気のなさそうな声で、ここあちゃんが入ってきた。
相変わらず手には紙のカバーがかけられた本を持ち、視線は常にそちらだ。
「あ、ここあちゃん、いいところに! コレ、動かせるかな?」
ラムネ先輩が期待を込めて声をかけると、ここあちゃんは目線だけコチラを向ける。
「ランニングマシーン…ですか。 まぁ、できないこともないですけど」
彼女はそう言うと、本と鞄を机に置き、ゆっくりと問題の物に近づく。
それからグルリと一周して観察すると、コンセントを手に取り、壁にある差し込み口へ。
ピーッ!
ランニングマシーンが、その身に電気が通ると濁った短い声を上げた。
ビクッ! と、驚いた三人は、思わず一歩下がる。
「おぉう!? なんか鳴ったけど、大丈夫なの?」
オロオロするラムネ先輩。
「大丈夫、多分、起動音です。 壊れていたら、そもそも音も鳴りませんよ」
それを冷静にツッコむここあちゃん。
ラムネ先輩はいわゆる機械の操作を誤ると爆発する―そんなことを考える人なのだな、とガムは見る。
ピッ、ピッ、と手際よくボタンを叩き、操作ある程度理解したのか、なるほど、とつぶやいたここあちゃんは、シロのほうを向いて手招き。
「ここ、乗って」
「ん? なんや!? 俺様にお願い事!? しょうがないなー!」
滅多にないここあちゃんからの頼みもあって、シロは満面の笑みを浮かべてランニングマシーンに飛び乗る。
そして――
「死ね」
「え?」
ピッ!
ここあちゃんがボソッ、と小声でつぶやくと、ランニングマシーンが軽い音を鳴らす。
マシーンの黒いベルトの道が滑り出し、クォォォォン!! という音を立ててモーターがフル稼動してどんどん加速していく。
「な、なんや、速ないか?」
女の子にボコボコにされても立ち上がるぐらいにタフなシロだが、今回は違和感を感じた。
手前にあるマシーンの画面へ目を落とす――
『SPEED:MAX』
「……っ!? ちょ、ここあちゃ―」
シロが気づいた頃にはもう遅く、ランニングマシーンは限界速度に達する。
顔を歪め、全力で脚を前へと振るがそれも虚しく、氷の上で足をくじいたように彼は崩れ落ちる――。
グチャ。
何やら部活では無縁の音が響いた。
「あ、死んだ」
ここあちゃんはギャァァァ! と、音を立てる凶器と化した機械の前に倒れている物を見下ろし、珍しく嬉しそう。 相変わらず彼女の男嫌いは本物だ。
ガムは苦笑いするしかなかった。
「シロ、ご愁傷様だぜ…って、先輩何処行った?」
気がつくと、ラムネ先輩もあの山に顔を突っ込み何かをあさっている。
「あった、あった! 懐かしい!!」
そう嬉しそうな声を出して手に取った物は――釘バット。
当然、いいイメージはしない。
ラムネ先輩はその鈍器をくるりと回し、笑顔でガムに言う。
「いいこと思い付いたの! 帰宅部って、やっぱり早く帰れるようにしないといけないと思うの。 だから駅まで早く歩くためにも、脚の筋力は必要だよね?」
「え、えーと、オレ、自転車通学なんで……、帰りますっ!!」
バッ!! と、とっさにドアに駆け出すガム。
しかし、その道を遮るここあちゃん。
「自転車にも、脚の筋力はいる」
「あは、あは、あはははは…ですよねぇ…?」
――そんなわけで。
「ちょっと、落ちそうになってるよ! もっと脚を動かす!」
「もう無理! 死ぬ! 絶対死ぬっ!」
もうそろそろ、ガムの脚は限界だ。
学校では絶対にありえない、赤い世界はもうすぐそこ。(正しくは、すでに少しだけ広がっているが。)
もしこの世界を生徒会に見つかったら確実に廃部だ。
いや、ガムにとっては都合がいいが、命と引き換えるわけにはいかない。
今月に入り、生徒会役員は一新された。
中でも生徒会長、西園寺 博文は正義感が強く、副会長の犬養 千里と共によく見回りをしているらしい。
――もしかしたら、帰宅部史上、いやオレの人生史上最大のピンチ?
そうガムの頭によぎった。
次の瞬間――
ガラガラッ!
部室のドアが勢いよく開く。
立っているのは、案の定。
生徒会会長の目には、この風景がどう映るだろう。
フル稼動するランニングマシーン、
泣きながら走り続ける少年、
それを見て微笑む幼女、
床に転がる赤い物体、
そしてアイドルなお姉さんが構える釘バット。
部室には重い機械音と、足音だけが響く。
――終わった! この部は終わった!
ガムは思った。 もう笑うしかない、どうにでもなれ。
しかし生徒会は、失礼しましたっ! の一言だけを残して、バンッ! と慌ててドア閉めて去っていった。
「え…?」
予想外の展開に部員皆が眼を丸くする。
ガムも思わず脚を止め――
――ぶすっ、ぐちゃ。
********
5)
梅雨も明け、陽射しも夏らしくなってきた。
青空が広がり、綿菓子のような入道雲が流れる。
七月。
夏休みも直前で、どの部も大会で忙しくなる時期だが、帰宅部にそんな一大イベントがあるわけもなく、窓のない薄暗い部室変わらない日々を過ごしていた。
今日を除いては。
「よーし! 今日は清掃活動だぁ!!」
暑い昼下がり、さらに気温を上げるようなテンションでジャージ姿のラムネ先輩が両手を空に突き出して叫ぶ。
今日は学期末に行われている清掃活動の日だ。
この芽高高校では、生徒会と運動部、個人のボランティアで通学路の清掃活動を行っている。
あのランニングマシーン事件の後、ラムネ先輩は帰宅部が廃部にならないか、かなり悩んでいたらしい。
この清掃活動で、生徒会にいいところをアピールしよう、という手のようだ。
「暑いのに、ラムネ先輩は元気ですねー…」
長い長いコンクリートの道の向こうは、ユラユラと揺れている。
そんな道の側面にある排水溝から、空き缶を拾い上げてゴミ袋に放り込むガムが、面倒臭さそうに言う。
「ラムネ言うな! いい、ガム君? こういうのは、楽しんだもの勝ちなんだから!」
「楽しんだもの勝ち…ですか?」
ラムネ先輩は、早くも開始十分で支給されたゴミ袋一つを一杯にし、ガムの袋にまでゴミを放り込む勢い。
その仕草は小さな子供のようで、笑顔いっぱいだった。
ガムにとっては何が楽しいかわからない。
「なんで先輩は熱心で、いつも楽しそうなんだろう…」
ガムはふと思った疑問をつぶやく。
毎日毎日、部活に通って、楽しそうに笑っている。
ガムには理解できなかった。 とても不思議な気持ちだった。
胸の奥がモヤモヤとする。
「ていうか、ラムネ先輩は受験勉強とかしなくていいんですか?」
ガムが学生では誰でもするような話題をラムネ先輩に振った。
それに彼女はあっさり答える。
「私は専門学校だもん♪ てか、ラムネって言うなぁ!」
ラムネ先輩はぶんぶんっ! と腕を振り、本当に小さな子供のようだ。
「ガム君こそ、進路とか、将来の夢とかあるの?」
今度はラムネ先輩から、ガムに問い掛ける。
「オレには夢とかないですよ。 やりたいことも特にないですし」
ガムもまたあっさり答えた。
それを聞いて、先輩は言う。
「そっかぁ、でもきっと見つかるよ! ガム君のしたいこと!」
「はぁ…、そんなものですかね?」
「そんなものだよ! 人生って」
やっぱり先輩の言うことはわからない。
ガムは適当な返事をして、また一つ空っぽの缶をゴミ袋に入れる。 自分の夢のような缶を。
と、その時。
「お嬢さん! 俺様と一緒にゴミを集めへんか!? ついでに俺様たちの愛も!」
何者かに声を掛けられ、バッ! と手を捕まれる。
「おい、シロ。 オレは男だ…」
「なんや、ガムか…。 ジャージ着てたら後ろ姿が女に見えるわ」
声の持ち主はシロだった。
シロは、チッ! と舌打ちをして、ガムの手を払う。
当然、女と間違えられ、舌打ちまでされたほうはいい気分ではない。
確かに顔が中性的、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめている人がジャージを着ていれば、女の子と間違われてもしょうがないことは、本人が一番自覚しているのだが。
「シロ、ちょっとコッチ向け」
「なんや?」
ガムがちゃら男をしっかりと正面に向かせる。
そして次の瞬間――
「歯ぁ、食いしばれよっ!」
「っ?!!」
ドゴォォォッ!!
ガムがシロの顔面を全力で殴り飛ばした。
シロの顔が歪み、宙を舞い、グシャァッ! と、真夏の道端に沈む。
ガムは手の埃をパンパン、と払い、ふぅー、と短く息を吐く。
しかしどこか不満げな顔。 どこかスッキリしない気分。
――わからねぇ、何なんだ、この気持ち。
空模様が何だか急に悪くなってきた。
分厚い雲が、太陽の陽射しを遮る。
やがて雨が降り出し、学生たちの手も止めた。
――なんだってんだよ…。
「ガム! ガム! 帰ろっ!」
「っ!?」
ふと、ガムが気づくとここあちゃんが顔を覗くようにして、名前を呼んでいた。
彼女に呼び掛けられて、ガムはようやく今の状況に気づく。
「清掃活動は中止だって。 帰ろ?」
「あ、あぁ……」
まだガムは少しボーッとした様子で、とりあえずの生返事をする。
それを受けて、どうしたの? と、珍しく男嫌いのここあちゃんが聞くので、慌てて、なんでもない! と、首を横に振った。
「ふーん…、まぁ、私には関係からいいけど。 でも…」
「…?」
本当に珍しい。
喋り方はいつもの調子だが、今日のここあちゃんは、妙に話を振ってくる。
疑問に思ったガムが、どうしたの? と聞くと、さらに珍しく、顔を少しばかりか赤らめて、恥ずかしそうな仕草を見せた。
そして、口を動かす――
「ジャージ姿は、いいね…。 嫌いじゃないかも」
「それって、オレが女っぽいってことですか?」
内心、若干だったが少し期待をしたガム。
ここあちゃんも女子(女っぽいのも可)に対しては、こんなに態度が違うのか、と。
そんなガムは心中で叫ぶ。
――オレが馬鹿でした。
********
行間1)
部活が終わり、下校をするころには雨も上がり、空は綺麗な茜色に染まっていた。
ガムとシロも赤く染まり、二人はコンクリートの道を自転車で駆ける。
シロは妹がダッツをどうとか、と一人で騒いでいるがガムは気にも止めない。
「なぁ、シロ?」
ふと、ガムが茶髪を風に揺らすシロに問う。
「なんや?」
シロも少し元気のないガムに問い返す。
「なんで、ラムネ先輩ってあんなに頑張っているのかな? あんなに笑っているのかな?」
ちょっと変わった質問だった。
ガムもどうしてこんなことを言ったのか、わかっていない。
ただ、胸の奥で何かがモヤモヤと渦を巻く――。
シロは、そうやなー、と少し考え、答えた。
「部活が楽しいんちゃう? 俺もよぉわからへんけど、部活が楽しいから一生懸命頑張るのは、当たり前のことちゃうかな?」
「当たり前…」
ガムは、やはりよくわからなかった。
今まで十六年間生きてきたが、何かを頑張って楽しかった――そんな記憶はない。
忘れているだけかもしれない。 しかし、少なくとも今はわからない。
「まぁ、楽しんだもん勝ちや! 確かに俺も先輩に無理矢理入れられたわけやけど、今はすげぇ楽しいで!」
「楽しんだもの勝ち…か」
ラムネ先輩も同じことを言っていたような気がする。
ガムの胸の奥で、さらに渦が大きくなる。
夕焼けの空の下、温かい風が吹く。
しかし、ガムには少し寒く感じた。
********
6)
夏休みが明け、九月。
どこの部も三年生が引退し、受験勉強の重い空気が漂い始める時期。
しかし帰宅部では、専門学校希望のラムネ先輩は相変わらず毎日机の上に腰かけている。
ただ、別の意味で、重い空気が流れ始めていた――。
「うーん…、大丈夫かな…」
今日一番に来たラムネ先輩は、いつもの机の上で一枚の紙とにらめっこをしていた。
後からガラガラと扉が開き、一年生三人組が入ってくる。
「ちはー。 ラムネ先輩どうしたんですか?」
真っ先に気づいたのは、ここあちゃんだった。
ラムネ先輩は、いつもみたいにあだ名に対するツッコみはいれず、ただ、あぁ…、とつぶやいて手に持つ紙を三人に見せる。
「『部活動新設規制のお知らせ』? なんやコレ?」
シロが紙に印刷された文字を読む。
その内容は、最近、芽高高校は部が増えすぎて部費の予算が足りなくなってきているらしい。
そのため、部を新たに立ち上げるのを規制するというものだ。
それに加えて、あまり実績のない部は部費を減らしたり、部室を他の部に受け渡したり、最悪では廃部になる場合があるらしい。
「ここのところ、毎年、この時期になるとこのプリントが配られるのね…。 困ったなぁ…」
ラムネ先輩は、苦笑いで頬をかく。
確かに帰宅部は大会もない、文芸みたいに部誌も発行しないし、文化祭に出せるような物もない。
実際、勉強か遊んで帰るだけの部。 そんなこと、家に帰ってからでもできる。
部活が乗り気ではないガムには、都合のいい話だ。 このまま廃部になれば、無理矢理、毎日ここに通う必要もない。
しかし、なぜだかわからないが、心から喜べなかった。
一学期からずっと、黒い渦が巻き続けていた。
「しょうがない、頑張って生徒会にアピールし続けるしかないよね! みんな頑張ろう!」
そう明るくラムネ先輩が三人に声を掛けた。
その時――
「それはもう無理です」
バンッ! と突然、扉が勢いよく開き、銀髪で眼鏡をした男性が部室に遠慮なく入ってきたのだ。
「教頭先生…!」
ラムネ先輩が顔を強張らせて男性の正体を言った。
教頭先生は何やら深刻な顔付きで部室を見回し、そしてラムネ先輩を睨む。
「水野さん、この帰宅部を…いえ、元・萬部を今度こそ廃部にさせてもらいますよ?」
教頭先生から告げられたのは、残酷な宣告。
しかしラムネ先輩は、いつもにない必死な表情で、反論する。
「ダメです! この部は先輩たちが残してくれた、大切な居場所! 廃部なんかにはさせません!」
――『元・萬部』?
ガムの頭に疑問が浮かぶ。
「先輩、どういうことですか? この帰宅部は新たに立ち上げた部だったのでは…?」
ガムが問うと、答えは教頭先生が告げた。
「気づきましたか? この帰宅部は、去年の名前は『なんでも部』。 その前の年は、『萬部』だったんですよ」
「え…?」
ガム、そしてシロ、ここあちゃんも眼を丸くし、額から気持ち悪い汗が流れ落ちる。 胸の鼓動も早く打つ。
「廃部になるからって、登録名と活動場所を変えて存続させるとは…。 校則とまでは言いませんが、マナー違反ですよ」
教頭先生は衝撃の事実を突き付けると、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。
『廃部許可書』
生徒会公認の印も押されている。
「これを教員会議で出せば、この部は終わりです。 いい加減、諦めたらどうですか? 時に諦めることも大事なことですよ」
教頭先生からの、トドメの一撃。
ラムネ先輩の眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。
――なんだよ、これ。 こんなのありかよ?
また、ガムの心が大きくざわつき始める。
――こんなの、こんなのって…。
そして――
「先生、待ってください」
気がつくと、口が動いていた。
「いきなり諦めろ、って言われても、納得行きませんよ!」
よくわからない気持ちが爆発する。
「先生だって、いきなり仕事やめろと言われたら、納得いかないでしょう? 抗議するでしょう? 同じことですよ!」
――何、教師に反抗しているのだろう、オレ。 不良みたいじゃないか。
そう思う自分もいたが、ガムは止められなかった。
そんなガムの行動は、教頭先生に一つの案を出させる。
「いいでしょう、勝負をしましょうか。 あなたたちは、今は帰宅部です。 芽高高校から
「わかりました。 でも練習をする時間を下さい」
無茶苦茶な条件だった。 それでも、部が存続するには戦うしかない。
「いいでしょう。 では、一週間後に」
そう言って、教頭先生は部屋を出ていった。
張り詰めた空気が、一瞬のうちに緩む。
部屋は静まり返る。
「は、ははは…、ゴメン、先輩、みんな。 変な賭けに乗っちまった…」
ガムが崩れた笑顔と震えた声で、皆のほうを向く。
「いや、かっこよかったで」
それにシロが微笑み返す。
「まぁ、ガムのくせによくやったんじゃない?」
少し照れ臭そうに、ここあちゃんが言う。
「ううん…、ありがとう、ガム君!」
溢れる涙を拭って、ラムネ先輩が笑う。
さっきのガムは、いつものガムと違った。
三人共、少し驚いたが、あのやる気のないガムが、部活を守るために立ち向かったことが嬉しかった。
彼の心の中で、何かが変わろうとしていたのだ――。
********
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