帰宅部の事情・本編…『後編』
2011/04/17 22:49:06
帰宅部の事情の後編です。
7)
帰宅部は全力で駆ける。
まだ夏の暑さが残るコンクリートの道を。
後ろで釘バットが待っているわけでもない。
ゴミを袋いっぱいにするわけでもない。
四人は走る。
ただ、自分たちの部活を守るために――
――そして、勝負の日の前日。
「はぁはぁ…。 ダメ…、こんなんじゃ、陸上部には勝てないよ…」
夕日が差し込む、芽高高校の表門の前。
ラムネ先輩、そして一年生三人が地べたに座り込む。
運動部員が1、2! の掛け声で目の前で通り過ぎるたび、もっと頑張らないと、という焦りと、もうダメじゃないか、という諦めが汗となって頬を伝う。
「ラムネ先輩、休憩しましょう…。 さっきから、走りっぱなしですから…」
「そ、そうね…。 そうしようか…」
ここあちゃんの提案で四人は門に背を預け、一時の休息を取ることにした。
「運動なんて普段しないから、急にすると、脚にくる…」
「俺様も胸が張り裂けそうやわ…。 こんなんで、明日行けるんか…?」
ここあちゃんとシロが、それぞれ痛む場所を押さえて明日の勝負に不安を覚える。
相手は陸上部。 普段から走り慣れているのは、わかりきったこと。
体育の時間でしか運動しない者たちが、急に勝てる相手ではない。
「みんな、ゴメン…。 私のせいで…」
ラムネ先輩は、眼に涙を浮かべて言う。
それにシロが、
ここあちゃんが、
ガムも、首を振る。
「先輩、らしくないで!」
「そうです。 楽しんだもの勝ち…ですよね」
「先輩、聞かせてください。 帰宅部の……萬部の話を」
三人の言葉を聞くと、ラムネ先輩は眼を擦り、えへへ! と、いつものように明るい笑顔を見せた。
そして、ゆっくりと空に流れる雲を見上げて、彼女は話し出した。
「二年前、ね。 この芽高高校に入学した時、私も部活には興味なかったの。 中学の時もしてなかったの」
「えっ!?」
意外な言葉に、一年生三人は眼を丸くした。
それを見て、ふふっ! と、ラムネ先輩がまた笑顔を見せる。
「驚いた? 私も驚いたよ。 初めは無理矢理捕らえられて、勝手に入部届け出されて。 入る気もなかった部活が、今では部長までしているんだよ?」
ガムとシロが、ははは…、と苦笑い。
この人、自分の経験をそのまま後輩にしたのか、と。
「部長が凄く変な人でさ。 いっつも馬鹿みたいなことで笑ってた。 『楽しんだもの勝ち!』っていつも言ってさ。 私もいつの間にか部長のペースで…」
何かを思い出したのか、ラムネ先輩はどこか楽しそうで、どこか寂しそうな表情で――。
「私が三年になって、部長になって。 あの時の部長みたいな人になりたかった。 先輩たちと楽しい日々を過ごした、この居場所を守りたいって思った。 でも、実際は空回りしてばっかりでさ…」
少し間が空く。
秋を感じ始める、冷たい風が通り抜ける。
そして――
「なれてますよ。 その人みたいな部長に」
「ガム君…」
「守りましょうよ、この居場所を。 今がその時です」
ガムが言った。 その眼差しは力強く。
ラムネ先輩はまた眼を擦る。
「嬉しいな…、そんなこと言ってくれて…。 頼もしすぎるよ…」
先輩の眼から、涙が溢れた。 その涙は、とても温かいものだ。
それに慌てて、シロとここあちゃんも。
「おっと! ガムなんかよりも、俺様のほうが百万倍、頼もしいに決まってるわ!」
「ガムの癖に生意気かも。 わたしのほうが、男なんかよりもずっと役に立つよ」
「おい、お前ら、怒るぞ…」
三人がギャーギャー! と騒ぎ始める。
それを見た先輩の、あはははは! という大きな笑い声が、辺りに響き渡る。
そして、立ち上がって――
「みんな、明日、絶対勝とうね!」
三人がしっかりと頷いた。
彼らの背中を押すように、強い、強い風が吹き通る――。
「あ、それでなんだけど」
ここあちゃんが、ふと口にした。
********
8)
勝負当日。
天候は曇り空。
張り詰めた空気が、重い風に乗る。
「来ましたか…」
表門で待ち構えていた教頭先生が睨む、その先には――
「えぇ。 私たちは、逃げたりはしません」
とてもまっすぐな眼差しをした四人が、ゆっくりとこちらに向かっていた。
「いい覚悟です。 本校の生徒として誇らしい態度だ。 しかし、約束は守ってもらいますよ?」
教頭先生は眉間にしわを寄せてそう言うと、ルールの説明を始める。
今回、勝負の場となるのは、帰宅部らしく、芽高高校から加茂芽駅までの通学路だ。
全てコンクリートで舗装された道で、田畑を貫いたり、住宅街に入ったりと、結構入り組んだものとなっている。
芽高高校の近くには、もう一つ大きな芽高駅もあり、生徒のほとんどはそちらを利用するのだが、今回はあえてなのか。
リレー形式で、指定されたところでバトンを回す。
「いい? 昨日の打ち合わせ通りでいくよ?」
ここあちゃんが、こっそりと言う。
「帰宅部ならではの作戦…やな」
「上手くいけば、出し抜けるかもしれないんだな」
シロとガムも、作戦とやらを頭の中で再確認。
「よし、行くよ、みんな!」
そしてラムネ先輩の掛け声で、それぞれのスタートラインに向かう。
皆同じ、守りたい、という気持ちで―――
―――「準備は整ったみたいですね」
各場所から準備ができたことをを携帯電話で確認した教頭先生は、それをポケットにしまい、右手にスタート用のピストルを暗い空へと構える。
帰宅部の先発は、シロ。
彼の表情はいつものちゃらい雰囲気ではない。
「よーし、絶対にいいスタートをして繋げたるっ!」
シロは腕を二、三回回し、ふっー! と強く一息吐く。
そして、ゆっくりと姿勢を落とし、戦闘態勢に入る。
「いいですか? よーい……」
パンッ!!
ピストルの音が天高く轟き、同時に第一走者は強く、前へと駆け出す。
こうして、帰宅部の存続を賭けた闘いの火蓋が、切って落とされたのだった――。
********
9)
スタート開始直後は、青々とした木々が横に並ぶ直線の道だ。
小細工はない。 ただ全力で前へ脚を動かすだけ。
「あそこまでは気張れよ、俺様!!」
シロは歯を食いしばり、必死で陸上部第一走者の後ろにかじりつく。
離されてそうになっても、そのたびに引きちぎれそうな脚を力の限り振るう。
「よし、負けてないで、俺様! もう見えてるで、あそこに!」
シロの見つめる先は、開けた十字路と信号。
右に曲がれば、芽高駅。
向こう側には、第二走者のここあちゃんが手を大きく振っている。
しかし、その道を遮るかのように信号は赤だ。
陸上部第一走者は、ゆっくり減速する。
だが、シロはその脚を止めない。
「かかったぁぁぁ!!」
シロがニヤリと下品な笑い顔で叫んだ瞬間、信号はパッ! と、青に変わったのだ。
とっさに反応出来なかった陸上部第一走者を出し抜き、シロが向こう側へと渡る。
帰宅部ならではの作戦、その一。
信号の変わるタイミングを熟知せよ!
「ここあちゃん、任せたで!」
パンッ! と、音を立ててバトンが繋がる。
ここあちゃんが、走り出す。
「わたしだって、やるときはやる!」
普段、運動とは無縁の関係であるここあちゃん。
その走りもどこかぎこちないが、それでも精一杯腕を振り、脚を動かす。
ここあちゃんが走る道は左右に田畑が広がり、住宅街へと続く。
「苦しい…。 でも、もう少し!」
身体が慣れないことに対し、悲鳴を上げる。
シロが作戦の成功により、引き離した距離もみるみると縮んでいく。
陸上部第二走者が、嵐のようにここあちゃんに迫る。
「追いつかれる…!」
脚が石のように重い。 もう限界は通り越しているかもしれない。
それでももがくここあちゃんだが、無情にも嵐はついに彼女の横を通り過ぎてゆく。
ブォゥ…、と小さな風の渦を残して――。
しかし、ここあちゃんはまだ諦めていない。
むしろ、その表情には余裕の笑みが。
「まだ、『とっておき』がある!」
住宅地内に差し掛かり、陸上部第二走者はさらに帰宅部との距離を広げる。
だが突然、ハッ! として、急停止した。
その先には『工事中』の看板。
本来走るべき道が、塞がれていたのだ。
陸上部第二走者はこの辺りの地形には詳しくないのか、オロオロと戸惑いながら回り道を模索する。
それを横見に帰宅部のここあちゃんは、家と家の間の小さな通路に入った。
帰宅部ならではの作戦、その二。
通学路近辺を知りつくせ!
慌てて陸上部第二走者も彼女の後を追うが、ここあちゃんの選んだ道は、かなり横幅が狭く、追い抜くことはできない。
それに高校生の体格には、通り抜けるのは少し無理があるのだ。
しかし、ここあちゃんは小学生と見間違うほどの小柄。
スイスイと狭い道をくぐり抜け、陸上部を引き離し返す。
「作戦的にはいいけど、コレって自分が小さいことを認めてるよね…」
ここあちゃんが自己嫌悪に陥っているのもつかの間、住宅地を抜けると広い場所に出る。
少しした先には、ラムネ先輩がエールを送っていた。
「ファイト! ここあちゃん!」
ここあちゃんは最後の力を振り絞り、駆け抜ける。
「ラムネ先輩、任せました!」
パンッ! また一つ、思いを乗せたバトンが繋がった。
「ラムネって言うな!」
そう笑顔で言い残すと、先輩は背中を向けて走り出す。
ラムネ先輩が少し走ると、大きな道が横切る場所に着く。
車通りが多く、簡単には渡れない。
信号と横断歩道があるが、まだまだ変わる様子もなかった。
後ろからは、もう陸上部第三走者が見えている。
「さすがは陸上部…、上手く巻いてもすぐに追い付いてくるね! でもっ!」
そう言うと、ラムネ先輩は目の前の横断歩道を無視し、バッ! と、右の歩道へ走り出した。
ふいを付かれた陸上部は、思わず立ち止まる。
先輩が見つめる先には、向こうへ渡る歩道橋があった。
帰宅部ならではの作戦、その三。
大きな道路は、安全に渡れ!
しかし歩道橋は、なかなかの階段数で普通ならば信号を待ったほうが早い。
だが、その点も彼女は抜かりなかった。
「私は、脚が長いのだから!」
ラムネ先輩は自身のアイドル体型を生かし、階段を二、三段ほど飛ばし、みるみる高い歩道橋を駆け上がる。
少し女の子としてははしたないかもしれないが、勝つために手段は選んでられない。
ラムネ先輩の行動を嘗めてかかっていた陸上部第三走者は、信号が青になると、慌てて彼女の背中を追う。
階段を一気に下り、少しばかりか差は開いた。
もう目の前にアンカーのガムが見えている。
しかし、ここに来てラムネ先輩のスピードが落ちてきた。
「うっ…、ヤバイ…、無理しすぎたかも…」
さっき本来走るべきでない歩道橋を一気に駆け上がり、その分のダメージが脚にきたのだ。
一本踏み出すたびに電気が走るような痛みがラムネ先輩を襲う。
「あと少し…、あと少しなの…」
もうすぐそこまで陸上部が迫っていた。
心がくじけそうになる。
胸の苦しさと、脚の痛みと、焦る心で、涙が出そうなる。
――ゴメン、先輩…。 ゴメン、みんな…。
そう思った時だった。
「ラムネ先輩、諦めんなっ! ラストぉぉぉッ!!」
先で待つガムの、スタート地点まで響きそうな―、天を突き抜けそうな―、そんな大きな叫びがラムネ先輩の胸を貫く。
ドクンッ! と、胸の鼓動が大きく鳴った。
胸も苦しい。 脚も痛い。
だけど、どこからか力が湧いてくる。
――そうだ、諦めるわけにはいかないんだ!
ラムネ先輩が最後の力を振り絞る。
「ガム君、行くよっ!」
「はいっ!」
バトンを受け渡そうとした。
その時――、
カツンッ…。
「あっ………」
ラムネ先輩の身体が、前へと地面に沈む――。
********
10)
「ラムネ先輩ッ!!!」
まさかのアクシデントだった。
第三走者からアンカーへバトンを渡す瞬間、不幸にもラムネ先輩が足をくじき、倒れてしまったのだ。
「大丈夫ですか、先輩!?」
アンカーのガムが慌ててラムネ先輩に駆け寄る。
「えぇ…、それよりも、早くこれを…」
ラムネ先輩は痛む足を押さえながらも、ガムにバトンを渡す。
「でも、先輩、早く保健室に…」
「馬鹿っ! 何のためにここまで頑張ってきたのよ!」
沈んだ声で心配するガムだが、そんなガムに先輩はいつもにない表情で怒鳴る。
「これはみんなが必死に繋いだ…、思いが詰まったバトン! こんなところで無駄にしないで! 諦めるな、と言ったのは、ガム君だよ!?」
「先輩……!」
「いい? 絶対に勝って! また、みんなで笑えるように!」
先輩は少し涙でそう言うと、ガムの手にしっかりとバトンを握らした。
みんなの思いが詰まったバトンを――。
「わかりました…、オレ、やります! そして必ず、帰宅部を守る!」
ガムは立ち上がり、強い眼差しをゴールの加茂芽駅へ。
こうしているうちにも、陸上部アンカーは帰宅部を追い越し、もの凄い速さで差を開いていっている。
「ガム君、楽しんだもの勝ち…だよ?」
先輩の声に押されるように、ガムは走り出す。
最後の加茂芽駅への道は、小細工無しの直線。
ガムは胸の奥が熱く感じた。
ちょっと前までの黒い渦はもう、ない。
むしろ、青空のようにスッキリと晴れていた。
ガムは走る。 今までにない速さで。
ランニングマシーン事件の時よりも、
先輩に追い掛けられた時よりも、
ずっとずっと速く。 風のように。
陸上部を相手に、ガムはどんどん距離を縮めていく。
そして、ついに横に並んだ。
――ヤバイ、オレ、何してるんだろう…。 凄く苦しいのに。
胸の酸素が少なくなり、張り裂けそうだ。
脚は固くなり、引きちぎれそうだ。
――こんなのアホ臭いと思ってたはずじゃなかったのか?
入学式の日、廊下に貼られたポスターを鼻で笑ったことを思い出した。
あの時の自分が、今の姿を見たらどう思うだろうか。
きっと白い眼で見るだろう。
――じゃあ、なぜランニングマシーンの時に一瞬でも廃部を恐れたんだ。 なぜ清掃活動の時に深く悩んだ。 なぜ教頭先生に反抗した。 なぜ先輩に部を守ろうと言った。
今までこんなに何かを必死に頑張ったということがあっただろうか。
入試も自分の実力で行ける、それなりのところを選んだ。
中学でも、小学校でも、運動会の徒競走では、五人中三位。
通知表も、いつも三、四が付いていた。
ゲームもクリアしたら、特別やり込みもしない。
本もどっぷりハマって、何回も読むことはない。
いつもそれなり。
いつも真ん中。
いつも普通。
いつも中途半端。
――いや、小さい頃は、面白いと思ったことには、一生懸命だったかもしれない。
夢中になって日か沈むまで、ボールを蹴り続けた。
カッコイイヒーローに憧れ、テレビにかじりついた。
周りに負けたくなくて、必死で走る練習をした。
ガムの胸が熱い。
そうこれは、ずっと忘れていた気持ちかもしれない。
――凄く苦しい。 凄く辛い。 でも……、凄く楽しい!!
努力すること。
何を頑張ること。
それは凄く面倒臭いことだけど、凄く楽しいこと。
そんな当たり前のことを、ガムはずっと忘れていた。
その思いがずっと表に出なかったら、深く苦しんでいたのだ。
――今ならわかる。 先輩が笑っていた理由。 何をするのも全力でやれば、凄く楽しいんだって。
気づくと、ガムは笑っていた。
――みんなの、先輩の、帰宅部のおかげだ。 オレは…、あの居場所を守るっ!!
「楽しんだもの勝ち…だよなっ!!」
もう目の前には、二人の教師が持ったゴールテープが迫っていた。
ガムは駆ける。
正真正銘の最後の力で。
「うおぉぉぉあぁぁぁぁ!!!」
そして、ゴールテープは地面へ、ゆっくりと落ちた―――。
********
11)
「ゴメン、みんな…。 負けたよ…」
曇り空に加え、日も沈み、辺りはもう暗くなっていた。
弱い街灯が、校門で再び集まった四人を照らす。
「ガムは悪くないわ」
と、シロ。
「うん、頑張った」
と、ここあちゃん。
「最後、かっこよかったよ、ガム君。 ありがとう…」
と、ラムネ先輩。
そこに教頭先生がゆっくりと近づく。
「約束通りです。 帰宅部は、廃部にします」
秋の風が、四人の心に通り抜ける。
と、その時。
「その必要はありませんよ、教頭先生」
校舎の方から声がし、ゆっくりと足音が近づく。
「この声は…」
四人はどこかで聞き覚えのある声だと思った。
街灯が声の持ち主を照らし、顔を現す。
それは、白髪混じりの五十代後半くらいの男性。
「校長先生…?」
教頭先生が不思議そうに、その人物の正体を言う。
「教頭先生、帰宅部は…いえ、萬部は廃部にする必要はありませんよ」
校長先生が落ち着いた口調でそういうと、教頭先生は当然のことのように、すらすらと質問を述べる。
「どういうことです? 功績もなにもない。 これといった活動もしていない。 どこにこの部の存在価値があるのです?」
それに校長先生は、ははは! と役職には合わない、大きな笑い声を上げた。
「功績? あるじゃないですか。 たった今、陸上部と張り合ったそうじゃないですか。 他にもボランティア活動を全力で取り組んでいる。 学校にとっても、とても誇らしい部ではありませんか?」
それに…、とさらに校長先生は続けて。
「教頭先生、あなたも元・萬部員ですよね?」
えっ!? と、校長先生の口から出た衝撃の言葉に、帰宅部員は思わず声を上げる。
それに教頭先生は眉間にしわを寄せ、ゆっくり事実を口にする。
「えぇ…、私も二十年ほど前の芽高高校の萬部でしたよ。 でも、何もしない、つまらない部でした。 なのにいつもへらへらと笑って…」
教頭先生は何かを思い出したのか、イライラとした歪んだ表情を見せた。
「何もしない…ですか。 それは、違うのでは?」
校長先生が口に手を当て、考えるように意見を述べる。
「それは教頭先生が何もしなかったのでは? この子たちを見て思います。 どんな些細なことでも全力で取り組めば、笑顔になれる、と」
「それは………」
教頭先生が言葉を失う。
校長先生は、ふぅ…、と一息つき、微笑んで教頭先生に言う。
「この件は私が処理しておきます。 教頭先生は、ゆっくりしてください」
それを聞くと、教頭先生は、はい…、と小さく返事をし、俯いて校舎へ戻っていく。
意外な展開、意外な人物により、帰宅部の危機は一瞬で去ってしまった。
「あの…、どうして庇うような真似を? 教頭先生の言うことは、一律あるのに…」
ラムネ先輩がそれに戸惑い、申し訳なさそうに問う。
それを聞いて、校長先生はまた笑った。
「私も同じことをしましたから。 演劇部を存続させるために、何度も名前を変えて存続させたものです。 私が卒業した後、大会を優勝して今の部があるようですが」
またもや意外な校長先生の発言に、唖然とする帰宅部。
昔の校長先生は、かなりやんちゃだったのか、と。
「今のこの時間を楽しみなさい! あなたたちの部は、これからもっといいものになるはずです! 演劇部のように、ね?」
こうして、帰宅部の波乱の闘いは、終息と迎えた――。
********
12)
次の日の放課後。
いつものように集まる四人。
しかし、またもや穏やかな状況ではないようで――。
「私、帰宅部を引退します」
ラムネ先輩の爆弾発言が全ての元凶だ。
「えっ!? ちょ、先輩、専門学校希望だから卒業するまで、ここにいるつもりだったのでは…?」
ガムが眼を左右にキョロキョロさせ、一学期の清掃活動の時のラムネ先輩の発言を思い出して言う。
それに対して、ラムネ先輩は言いづらそうな態度で。
「あー…、うん。 そうだったんだけど、さ。 夏休み辺りから、大学に変えようかな…なんて思って、勉強頑張っちゃったり…。 てへっ♪」
「てへっ♪ じゃないですよ! オレたち、先輩に贈る物、何にもないですよ!」
ガムは少しご機嫌ななめな顔で、先輩に言い返す。
それに続いて、シロとここあちゃんも、そうだ! そうだ! と騒ぎ立てる。
それもそうだ。 突然の別れの話。 寂しいわけがないのだから。
しかし、先輩は首を横に振った。 何もいらない、と。
「だって…昨日も…、いや練習も、毎日の活動も全部! みんな、頑張ってくれた! いつも私に勇気をくれたじゃない!」
先輩はまた涙を流していた。 顔を真っ赤にして、せっかくの美人顔が台なしだ。
「だから、もう何もいらない…。 貰いすぎになっちゃうから…。 ありがとう、みんな! 楽しかったよ!」
先輩が無理矢理な笑顔でそう言った。
すると――
「あー、そうすか。 んじゃ、何にも用意しやんでええな」
「新しい本を買うお金、キープしたいし」
「そそ、面倒なことはしないに限る」
と、シロ、ここあちゃん、ガムのまさかの白状な台詞。
それにラムネ先輩は眼を丸くし、慌てて、前回撤回! を繰り返す。
帰宅部室に笑い声が溢れた――。
夕日が差し込む帰り道。
空気はすっかり秋の匂い。
優しい風が、すすきを揺らす。
珍しくガムはラムネ先輩と二人、昨日戦場となった加茂芽駅へ続く道を、自転車を押して歩く。
自転車のカタカタという音が、広い田畑に響く。
「ねぇ、先輩」
「なぁに、ガム君?」
ガムが声を掛け、ラムネ先輩が問い返す。
「先輩、オレ、好きです」
ブフーッ!! 不意打ちであまりにもぶっ飛んだガムの台詞に、思わずラムネ先輩は吹き出した。
「え、え、ちょっと…、ガム君?!!」
ラムネ先輩は顔を真っ赤にし、両手を左右にバタバタと振る。
そんなラムネ先輩の態度もお構いなしに、ガムは真顔で言葉を続ける。
「オレ、好きです。 この部活が。 部員のみんなが。 先輩のことも。 だから、次の部長、オレがやります。 絶対、この部を守ってみせます!」
そう言い切って、ガムはグッ! と、ガッツポーズ。
あぁ…部活としての話…、とラムネ先輩は慌てた自分が恥ずかしくなり、早まった鼓動を沈める。
だが、ガムのその言葉はラムネ先輩にとって最高に嬉しい言葉には違いなかった。
「うん、いいよ! ガム君なら、きっといい部長になれるよ!」
ラムネ先輩はそう言って、太陽のようなとびっきりの笑顔を見せた――。
********
13)
ラムネ先輩が引退し、ガムが帰宅部の部長となり、そして早くも三月。
時に獣のように慌ただしい先輩も、やっぱり最後はぐちゃぐちゃに崩れた笑顔で卒業していった。
なんだかんだで涙もろい先輩だった、とガムは振り返る。
そして四月。
新たな学年を迎え、いよいよ入学式の日。
ガムは廊下の窓に勧誘のポスターを急いで貼っていると、高校生活最初のホームルームを終えた新入生がぞろぞろと歩いてきた。
いそいそと部活見学へと向かう人々がほとんどだが、その中にゆっくりと歩く二人の女子が。
「ねぇ、部活決めた?」
「部活? 決まってるじゃん! 私は帰宅部よ!」
ガムはその会話を聞いていると、去年のことを思い出す。
そして、ふっ…、と微笑むと、その二人の下に駆けていった―――。
********
どうして君は、走りつづけるのだろう?
どうして君は、そんなに頑張るのだろう?
向かい風が吹いて、強い雨が降り注ぎ、
それでも君は、笑っていたよね。
「世の中、楽しんだもの勝ち」
だって、それが君の口癖だった。
そんなに楽しいのかい。
頑張ることっては。
僕も一歩、踏み出した。
とても苦しくて、
辛くて、
逃げ出したくもなった。
それでも目指したその先には、きっと――
――笑顔の涙。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
桜吹雪が舞う空の下、
彼女は一つの歌を歌い終えた。
帰宅部は全力で駆ける。
まだ夏の暑さが残るコンクリートの道を。
後ろで釘バットが待っているわけでもない。
ゴミを袋いっぱいにするわけでもない。
四人は走る。
ただ、自分たちの部活を守るために――
――そして、勝負の日の前日。
「はぁはぁ…。 ダメ…、こんなんじゃ、陸上部には勝てないよ…」
夕日が差し込む、芽高高校の表門の前。
ラムネ先輩、そして一年生三人が地べたに座り込む。
運動部員が1、2! の掛け声で目の前で通り過ぎるたび、もっと頑張らないと、という焦りと、もうダメじゃないか、という諦めが汗となって頬を伝う。
「ラムネ先輩、休憩しましょう…。 さっきから、走りっぱなしですから…」
「そ、そうね…。 そうしようか…」
ここあちゃんの提案で四人は門に背を預け、一時の休息を取ることにした。
「運動なんて普段しないから、急にすると、脚にくる…」
「俺様も胸が張り裂けそうやわ…。 こんなんで、明日行けるんか…?」
ここあちゃんとシロが、それぞれ痛む場所を押さえて明日の勝負に不安を覚える。
相手は陸上部。 普段から走り慣れているのは、わかりきったこと。
体育の時間でしか運動しない者たちが、急に勝てる相手ではない。
「みんな、ゴメン…。 私のせいで…」
ラムネ先輩は、眼に涙を浮かべて言う。
それにシロが、
ここあちゃんが、
ガムも、首を振る。
「先輩、らしくないで!」
「そうです。 楽しんだもの勝ち…ですよね」
「先輩、聞かせてください。 帰宅部の……萬部の話を」
三人の言葉を聞くと、ラムネ先輩は眼を擦り、えへへ! と、いつものように明るい笑顔を見せた。
そして、ゆっくりと空に流れる雲を見上げて、彼女は話し出した。
「二年前、ね。 この芽高高校に入学した時、私も部活には興味なかったの。 中学の時もしてなかったの」
「えっ!?」
意外な言葉に、一年生三人は眼を丸くした。
それを見て、ふふっ! と、ラムネ先輩がまた笑顔を見せる。
「驚いた? 私も驚いたよ。 初めは無理矢理捕らえられて、勝手に入部届け出されて。 入る気もなかった部活が、今では部長までしているんだよ?」
ガムとシロが、ははは…、と苦笑い。
この人、自分の経験をそのまま後輩にしたのか、と。
「部長が凄く変な人でさ。 いっつも馬鹿みたいなことで笑ってた。 『楽しんだもの勝ち!』っていつも言ってさ。 私もいつの間にか部長のペースで…」
何かを思い出したのか、ラムネ先輩はどこか楽しそうで、どこか寂しそうな表情で――。
「私が三年になって、部長になって。 あの時の部長みたいな人になりたかった。 先輩たちと楽しい日々を過ごした、この居場所を守りたいって思った。 でも、実際は空回りしてばっかりでさ…」
少し間が空く。
秋を感じ始める、冷たい風が通り抜ける。
そして――
「なれてますよ。 その人みたいな部長に」
「ガム君…」
「守りましょうよ、この居場所を。 今がその時です」
ガムが言った。 その眼差しは力強く。
ラムネ先輩はまた眼を擦る。
「嬉しいな…、そんなこと言ってくれて…。 頼もしすぎるよ…」
先輩の眼から、涙が溢れた。 その涙は、とても温かいものだ。
それに慌てて、シロとここあちゃんも。
「おっと! ガムなんかよりも、俺様のほうが百万倍、頼もしいに決まってるわ!」
「ガムの癖に生意気かも。 わたしのほうが、男なんかよりもずっと役に立つよ」
「おい、お前ら、怒るぞ…」
三人がギャーギャー! と騒ぎ始める。
それを見た先輩の、あはははは! という大きな笑い声が、辺りに響き渡る。
そして、立ち上がって――
「みんな、明日、絶対勝とうね!」
三人がしっかりと頷いた。
彼らの背中を押すように、強い、強い風が吹き通る――。
「あ、それでなんだけど」
ここあちゃんが、ふと口にした。
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8)
勝負当日。
天候は曇り空。
張り詰めた空気が、重い風に乗る。
「来ましたか…」
表門で待ち構えていた教頭先生が睨む、その先には――
「えぇ。 私たちは、逃げたりはしません」
とてもまっすぐな眼差しをした四人が、ゆっくりとこちらに向かっていた。
「いい覚悟です。 本校の生徒として誇らしい態度だ。 しかし、約束は守ってもらいますよ?」
教頭先生は眉間にしわを寄せてそう言うと、ルールの説明を始める。
今回、勝負の場となるのは、帰宅部らしく、芽高高校から加茂芽駅までの通学路だ。
全てコンクリートで舗装された道で、田畑を貫いたり、住宅街に入ったりと、結構入り組んだものとなっている。
芽高高校の近くには、もう一つ大きな芽高駅もあり、生徒のほとんどはそちらを利用するのだが、今回はあえてなのか。
リレー形式で、指定されたところでバトンを回す。
「いい? 昨日の打ち合わせ通りでいくよ?」
ここあちゃんが、こっそりと言う。
「帰宅部ならではの作戦…やな」
「上手くいけば、出し抜けるかもしれないんだな」
シロとガムも、作戦とやらを頭の中で再確認。
「よし、行くよ、みんな!」
そしてラムネ先輩の掛け声で、それぞれのスタートラインに向かう。
皆同じ、守りたい、という気持ちで―――
―――「準備は整ったみたいですね」
各場所から準備ができたことをを携帯電話で確認した教頭先生は、それをポケットにしまい、右手にスタート用のピストルを暗い空へと構える。
帰宅部の先発は、シロ。
彼の表情はいつものちゃらい雰囲気ではない。
「よーし、絶対にいいスタートをして繋げたるっ!」
シロは腕を二、三回回し、ふっー! と強く一息吐く。
そして、ゆっくりと姿勢を落とし、戦闘態勢に入る。
「いいですか? よーい……」
パンッ!!
ピストルの音が天高く轟き、同時に第一走者は強く、前へと駆け出す。
こうして、帰宅部の存続を賭けた闘いの火蓋が、切って落とされたのだった――。
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9)
スタート開始直後は、青々とした木々が横に並ぶ直線の道だ。
小細工はない。 ただ全力で前へ脚を動かすだけ。
「あそこまでは気張れよ、俺様!!」
シロは歯を食いしばり、必死で陸上部第一走者の後ろにかじりつく。
離されてそうになっても、そのたびに引きちぎれそうな脚を力の限り振るう。
「よし、負けてないで、俺様! もう見えてるで、あそこに!」
シロの見つめる先は、開けた十字路と信号。
右に曲がれば、芽高駅。
向こう側には、第二走者のここあちゃんが手を大きく振っている。
しかし、その道を遮るかのように信号は赤だ。
陸上部第一走者は、ゆっくり減速する。
だが、シロはその脚を止めない。
「かかったぁぁぁ!!」
シロがニヤリと下品な笑い顔で叫んだ瞬間、信号はパッ! と、青に変わったのだ。
とっさに反応出来なかった陸上部第一走者を出し抜き、シロが向こう側へと渡る。
帰宅部ならではの作戦、その一。
信号の変わるタイミングを熟知せよ!
「ここあちゃん、任せたで!」
パンッ! と、音を立ててバトンが繋がる。
ここあちゃんが、走り出す。
「わたしだって、やるときはやる!」
普段、運動とは無縁の関係であるここあちゃん。
その走りもどこかぎこちないが、それでも精一杯腕を振り、脚を動かす。
ここあちゃんが走る道は左右に田畑が広がり、住宅街へと続く。
「苦しい…。 でも、もう少し!」
身体が慣れないことに対し、悲鳴を上げる。
シロが作戦の成功により、引き離した距離もみるみると縮んでいく。
陸上部第二走者が、嵐のようにここあちゃんに迫る。
「追いつかれる…!」
脚が石のように重い。 もう限界は通り越しているかもしれない。
それでももがくここあちゃんだが、無情にも嵐はついに彼女の横を通り過ぎてゆく。
ブォゥ…、と小さな風の渦を残して――。
しかし、ここあちゃんはまだ諦めていない。
むしろ、その表情には余裕の笑みが。
「まだ、『とっておき』がある!」
住宅地内に差し掛かり、陸上部第二走者はさらに帰宅部との距離を広げる。
だが突然、ハッ! として、急停止した。
その先には『工事中』の看板。
本来走るべき道が、塞がれていたのだ。
陸上部第二走者はこの辺りの地形には詳しくないのか、オロオロと戸惑いながら回り道を模索する。
それを横見に帰宅部のここあちゃんは、家と家の間の小さな通路に入った。
帰宅部ならではの作戦、その二。
通学路近辺を知りつくせ!
慌てて陸上部第二走者も彼女の後を追うが、ここあちゃんの選んだ道は、かなり横幅が狭く、追い抜くことはできない。
それに高校生の体格には、通り抜けるのは少し無理があるのだ。
しかし、ここあちゃんは小学生と見間違うほどの小柄。
スイスイと狭い道をくぐり抜け、陸上部を引き離し返す。
「作戦的にはいいけど、コレって自分が小さいことを認めてるよね…」
ここあちゃんが自己嫌悪に陥っているのもつかの間、住宅地を抜けると広い場所に出る。
少しした先には、ラムネ先輩がエールを送っていた。
「ファイト! ここあちゃん!」
ここあちゃんは最後の力を振り絞り、駆け抜ける。
「ラムネ先輩、任せました!」
パンッ! また一つ、思いを乗せたバトンが繋がった。
「ラムネって言うな!」
そう笑顔で言い残すと、先輩は背中を向けて走り出す。
ラムネ先輩が少し走ると、大きな道が横切る場所に着く。
車通りが多く、簡単には渡れない。
信号と横断歩道があるが、まだまだ変わる様子もなかった。
後ろからは、もう陸上部第三走者が見えている。
「さすがは陸上部…、上手く巻いてもすぐに追い付いてくるね! でもっ!」
そう言うと、ラムネ先輩は目の前の横断歩道を無視し、バッ! と、右の歩道へ走り出した。
ふいを付かれた陸上部は、思わず立ち止まる。
先輩が見つめる先には、向こうへ渡る歩道橋があった。
帰宅部ならではの作戦、その三。
大きな道路は、安全に渡れ!
しかし歩道橋は、なかなかの階段数で普通ならば信号を待ったほうが早い。
だが、その点も彼女は抜かりなかった。
「私は、脚が長いのだから!」
ラムネ先輩は自身のアイドル体型を生かし、階段を二、三段ほど飛ばし、みるみる高い歩道橋を駆け上がる。
少し女の子としてははしたないかもしれないが、勝つために手段は選んでられない。
ラムネ先輩の行動を嘗めてかかっていた陸上部第三走者は、信号が青になると、慌てて彼女の背中を追う。
階段を一気に下り、少しばかりか差は開いた。
もう目の前にアンカーのガムが見えている。
しかし、ここに来てラムネ先輩のスピードが落ちてきた。
「うっ…、ヤバイ…、無理しすぎたかも…」
さっき本来走るべきでない歩道橋を一気に駆け上がり、その分のダメージが脚にきたのだ。
一本踏み出すたびに電気が走るような痛みがラムネ先輩を襲う。
「あと少し…、あと少しなの…」
もうすぐそこまで陸上部が迫っていた。
心がくじけそうになる。
胸の苦しさと、脚の痛みと、焦る心で、涙が出そうなる。
――ゴメン、先輩…。 ゴメン、みんな…。
そう思った時だった。
「ラムネ先輩、諦めんなっ! ラストぉぉぉッ!!」
先で待つガムの、スタート地点まで響きそうな―、天を突き抜けそうな―、そんな大きな叫びがラムネ先輩の胸を貫く。
ドクンッ! と、胸の鼓動が大きく鳴った。
胸も苦しい。 脚も痛い。
だけど、どこからか力が湧いてくる。
――そうだ、諦めるわけにはいかないんだ!
ラムネ先輩が最後の力を振り絞る。
「ガム君、行くよっ!」
「はいっ!」
バトンを受け渡そうとした。
その時――、
カツンッ…。
「あっ………」
ラムネ先輩の身体が、前へと地面に沈む――。
********
10)
「ラムネ先輩ッ!!!」
まさかのアクシデントだった。
第三走者からアンカーへバトンを渡す瞬間、不幸にもラムネ先輩が足をくじき、倒れてしまったのだ。
「大丈夫ですか、先輩!?」
アンカーのガムが慌ててラムネ先輩に駆け寄る。
「えぇ…、それよりも、早くこれを…」
ラムネ先輩は痛む足を押さえながらも、ガムにバトンを渡す。
「でも、先輩、早く保健室に…」
「馬鹿っ! 何のためにここまで頑張ってきたのよ!」
沈んだ声で心配するガムだが、そんなガムに先輩はいつもにない表情で怒鳴る。
「これはみんなが必死に繋いだ…、思いが詰まったバトン! こんなところで無駄にしないで! 諦めるな、と言ったのは、ガム君だよ!?」
「先輩……!」
「いい? 絶対に勝って! また、みんなで笑えるように!」
先輩は少し涙でそう言うと、ガムの手にしっかりとバトンを握らした。
みんなの思いが詰まったバトンを――。
「わかりました…、オレ、やります! そして必ず、帰宅部を守る!」
ガムは立ち上がり、強い眼差しをゴールの加茂芽駅へ。
こうしているうちにも、陸上部アンカーは帰宅部を追い越し、もの凄い速さで差を開いていっている。
「ガム君、楽しんだもの勝ち…だよ?」
先輩の声に押されるように、ガムは走り出す。
最後の加茂芽駅への道は、小細工無しの直線。
ガムは胸の奥が熱く感じた。
ちょっと前までの黒い渦はもう、ない。
むしろ、青空のようにスッキリと晴れていた。
ガムは走る。 今までにない速さで。
ランニングマシーン事件の時よりも、
先輩に追い掛けられた時よりも、
ずっとずっと速く。 風のように。
陸上部を相手に、ガムはどんどん距離を縮めていく。
そして、ついに横に並んだ。
――ヤバイ、オレ、何してるんだろう…。 凄く苦しいのに。
胸の酸素が少なくなり、張り裂けそうだ。
脚は固くなり、引きちぎれそうだ。
――こんなのアホ臭いと思ってたはずじゃなかったのか?
入学式の日、廊下に貼られたポスターを鼻で笑ったことを思い出した。
あの時の自分が、今の姿を見たらどう思うだろうか。
きっと白い眼で見るだろう。
――じゃあ、なぜランニングマシーンの時に一瞬でも廃部を恐れたんだ。 なぜ清掃活動の時に深く悩んだ。 なぜ教頭先生に反抗した。 なぜ先輩に部を守ろうと言った。
今までこんなに何かを必死に頑張ったということがあっただろうか。
入試も自分の実力で行ける、それなりのところを選んだ。
中学でも、小学校でも、運動会の徒競走では、五人中三位。
通知表も、いつも三、四が付いていた。
ゲームもクリアしたら、特別やり込みもしない。
本もどっぷりハマって、何回も読むことはない。
いつもそれなり。
いつも真ん中。
いつも普通。
いつも中途半端。
――いや、小さい頃は、面白いと思ったことには、一生懸命だったかもしれない。
夢中になって日か沈むまで、ボールを蹴り続けた。
カッコイイヒーローに憧れ、テレビにかじりついた。
周りに負けたくなくて、必死で走る練習をした。
ガムの胸が熱い。
そうこれは、ずっと忘れていた気持ちかもしれない。
――凄く苦しい。 凄く辛い。 でも……、凄く楽しい!!
努力すること。
何を頑張ること。
それは凄く面倒臭いことだけど、凄く楽しいこと。
そんな当たり前のことを、ガムはずっと忘れていた。
その思いがずっと表に出なかったら、深く苦しんでいたのだ。
――今ならわかる。 先輩が笑っていた理由。 何をするのも全力でやれば、凄く楽しいんだって。
気づくと、ガムは笑っていた。
――みんなの、先輩の、帰宅部のおかげだ。 オレは…、あの居場所を守るっ!!
「楽しんだもの勝ち…だよなっ!!」
もう目の前には、二人の教師が持ったゴールテープが迫っていた。
ガムは駆ける。
正真正銘の最後の力で。
「うおぉぉぉあぁぁぁぁ!!!」
そして、ゴールテープは地面へ、ゆっくりと落ちた―――。
********
11)
「ゴメン、みんな…。 負けたよ…」
曇り空に加え、日も沈み、辺りはもう暗くなっていた。
弱い街灯が、校門で再び集まった四人を照らす。
「ガムは悪くないわ」
と、シロ。
「うん、頑張った」
と、ここあちゃん。
「最後、かっこよかったよ、ガム君。 ありがとう…」
と、ラムネ先輩。
そこに教頭先生がゆっくりと近づく。
「約束通りです。 帰宅部は、廃部にします」
秋の風が、四人の心に通り抜ける。
と、その時。
「その必要はありませんよ、教頭先生」
校舎の方から声がし、ゆっくりと足音が近づく。
「この声は…」
四人はどこかで聞き覚えのある声だと思った。
街灯が声の持ち主を照らし、顔を現す。
それは、白髪混じりの五十代後半くらいの男性。
「校長先生…?」
教頭先生が不思議そうに、その人物の正体を言う。
「教頭先生、帰宅部は…いえ、萬部は廃部にする必要はありませんよ」
校長先生が落ち着いた口調でそういうと、教頭先生は当然のことのように、すらすらと質問を述べる。
「どういうことです? 功績もなにもない。 これといった活動もしていない。 どこにこの部の存在価値があるのです?」
それに校長先生は、ははは! と役職には合わない、大きな笑い声を上げた。
「功績? あるじゃないですか。 たった今、陸上部と張り合ったそうじゃないですか。 他にもボランティア活動を全力で取り組んでいる。 学校にとっても、とても誇らしい部ではありませんか?」
それに…、とさらに校長先生は続けて。
「教頭先生、あなたも元・萬部員ですよね?」
えっ!? と、校長先生の口から出た衝撃の言葉に、帰宅部員は思わず声を上げる。
それに教頭先生は眉間にしわを寄せ、ゆっくり事実を口にする。
「えぇ…、私も二十年ほど前の芽高高校の萬部でしたよ。 でも、何もしない、つまらない部でした。 なのにいつもへらへらと笑って…」
教頭先生は何かを思い出したのか、イライラとした歪んだ表情を見せた。
「何もしない…ですか。 それは、違うのでは?」
校長先生が口に手を当て、考えるように意見を述べる。
「それは教頭先生が何もしなかったのでは? この子たちを見て思います。 どんな些細なことでも全力で取り組めば、笑顔になれる、と」
「それは………」
教頭先生が言葉を失う。
校長先生は、ふぅ…、と一息つき、微笑んで教頭先生に言う。
「この件は私が処理しておきます。 教頭先生は、ゆっくりしてください」
それを聞くと、教頭先生は、はい…、と小さく返事をし、俯いて校舎へ戻っていく。
意外な展開、意外な人物により、帰宅部の危機は一瞬で去ってしまった。
「あの…、どうして庇うような真似を? 教頭先生の言うことは、一律あるのに…」
ラムネ先輩がそれに戸惑い、申し訳なさそうに問う。
それを聞いて、校長先生はまた笑った。
「私も同じことをしましたから。 演劇部を存続させるために、何度も名前を変えて存続させたものです。 私が卒業した後、大会を優勝して今の部があるようですが」
またもや意外な校長先生の発言に、唖然とする帰宅部。
昔の校長先生は、かなりやんちゃだったのか、と。
「今のこの時間を楽しみなさい! あなたたちの部は、これからもっといいものになるはずです! 演劇部のように、ね?」
こうして、帰宅部の波乱の闘いは、終息と迎えた――。
********
12)
次の日の放課後。
いつものように集まる四人。
しかし、またもや穏やかな状況ではないようで――。
「私、帰宅部を引退します」
ラムネ先輩の爆弾発言が全ての元凶だ。
「えっ!? ちょ、先輩、専門学校希望だから卒業するまで、ここにいるつもりだったのでは…?」
ガムが眼を左右にキョロキョロさせ、一学期の清掃活動の時のラムネ先輩の発言を思い出して言う。
それに対して、ラムネ先輩は言いづらそうな態度で。
「あー…、うん。 そうだったんだけど、さ。 夏休み辺りから、大学に変えようかな…なんて思って、勉強頑張っちゃったり…。 てへっ♪」
「てへっ♪ じゃないですよ! オレたち、先輩に贈る物、何にもないですよ!」
ガムは少しご機嫌ななめな顔で、先輩に言い返す。
それに続いて、シロとここあちゃんも、そうだ! そうだ! と騒ぎ立てる。
それもそうだ。 突然の別れの話。 寂しいわけがないのだから。
しかし、先輩は首を横に振った。 何もいらない、と。
「だって…昨日も…、いや練習も、毎日の活動も全部! みんな、頑張ってくれた! いつも私に勇気をくれたじゃない!」
先輩はまた涙を流していた。 顔を真っ赤にして、せっかくの美人顔が台なしだ。
「だから、もう何もいらない…。 貰いすぎになっちゃうから…。 ありがとう、みんな! 楽しかったよ!」
先輩が無理矢理な笑顔でそう言った。
すると――
「あー、そうすか。 んじゃ、何にも用意しやんでええな」
「新しい本を買うお金、キープしたいし」
「そそ、面倒なことはしないに限る」
と、シロ、ここあちゃん、ガムのまさかの白状な台詞。
それにラムネ先輩は眼を丸くし、慌てて、前回撤回! を繰り返す。
帰宅部室に笑い声が溢れた――。
夕日が差し込む帰り道。
空気はすっかり秋の匂い。
優しい風が、すすきを揺らす。
珍しくガムはラムネ先輩と二人、昨日戦場となった加茂芽駅へ続く道を、自転車を押して歩く。
自転車のカタカタという音が、広い田畑に響く。
「ねぇ、先輩」
「なぁに、ガム君?」
ガムが声を掛け、ラムネ先輩が問い返す。
「先輩、オレ、好きです」
ブフーッ!! 不意打ちであまりにもぶっ飛んだガムの台詞に、思わずラムネ先輩は吹き出した。
「え、え、ちょっと…、ガム君?!!」
ラムネ先輩は顔を真っ赤にし、両手を左右にバタバタと振る。
そんなラムネ先輩の態度もお構いなしに、ガムは真顔で言葉を続ける。
「オレ、好きです。 この部活が。 部員のみんなが。 先輩のことも。 だから、次の部長、オレがやります。 絶対、この部を守ってみせます!」
そう言い切って、ガムはグッ! と、ガッツポーズ。
あぁ…部活としての話…、とラムネ先輩は慌てた自分が恥ずかしくなり、早まった鼓動を沈める。
だが、ガムのその言葉はラムネ先輩にとって最高に嬉しい言葉には違いなかった。
「うん、いいよ! ガム君なら、きっといい部長になれるよ!」
ラムネ先輩はそう言って、太陽のようなとびっきりの笑顔を見せた――。
********
13)
ラムネ先輩が引退し、ガムが帰宅部の部長となり、そして早くも三月。
時に獣のように慌ただしい先輩も、やっぱり最後はぐちゃぐちゃに崩れた笑顔で卒業していった。
なんだかんだで涙もろい先輩だった、とガムは振り返る。
そして四月。
新たな学年を迎え、いよいよ入学式の日。
ガムは廊下の窓に勧誘のポスターを急いで貼っていると、高校生活最初のホームルームを終えた新入生がぞろぞろと歩いてきた。
いそいそと部活見学へと向かう人々がほとんどだが、その中にゆっくりと歩く二人の女子が。
「ねぇ、部活決めた?」
「部活? 決まってるじゃん! 私は帰宅部よ!」
ガムはその会話を聞いていると、去年のことを思い出す。
そして、ふっ…、と微笑むと、その二人の下に駆けていった―――。
********
どうして君は、走りつづけるのだろう?
どうして君は、そんなに頑張るのだろう?
向かい風が吹いて、強い雨が降り注ぎ、
それでも君は、笑っていたよね。
「世の中、楽しんだもの勝ち」
だって、それが君の口癖だった。
そんなに楽しいのかい。
頑張ることっては。
僕も一歩、踏み出した。
とても苦しくて、
辛くて、
逃げ出したくもなった。
それでも目指したその先には、きっと――
――笑顔の涙。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
桜吹雪が舞う空の下、
彼女は一つの歌を歌い終えた。
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