帰宅部の事情・本編…『前編』
2011/04/17 22:44:24
この小説は作者が文芸部誌で公開したものです。
2011年秋に保管編を公開予定です。(都合により遅れる場合があります。)
芽高高校に入学した主人公ガムは部活に入る気もなく、『帰宅部』として家にさっさと帰るつもりだった。
しかしその道を塞ぐかのように、謎のアイドル体型の女性が彼と親友シロを連れ去ってしまう。
ガムは気がつくと倉庫のような部屋に…。
そんな戸惑うガムに女性は言った。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
と―――。
2011年秋に保管編を公開予定です。(都合により遅れる場合があります。)
芽高高校に入学した主人公ガムは部活に入る気もなく、『帰宅部』として家にさっさと帰るつもりだった。
しかしその道を塞ぐかのように、謎のアイドル体型の女性が彼と親友シロを連れ去ってしまう。
ガムは気がつくと倉庫のような部屋に…。
そんな戸惑うガムに女性は言った。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
と―――。
帰宅部の事情 火月夜つむり
小さな頃、夢があったこと、今でも覚えていますか?
あの頃は何でも楽しかった、覚えていますか?
いつからだろ、
現実を見て、
周りに溶け込んで、
夢を忘れて。
あの頃の様にもう笑えないの?
そんなこと、ない―
ほら、今でも探せば、
『見れるさ』
まだ間に合うよ、追いかければ、
君には時間がある。
わずかだけど、とても長い―
長いけど、とても短い。
一瞬だけど大きな物。 きっと一生の宝物。
さぁ始めよう、君夢語り。
最初の一歩は怖いけど。
向こうにいる君の知らない、
仲間たちはきっと温かく迎えてくれるはずさ。
そして背中押してくれるよ、夢の果てまで。
追い風のように―。
********
この物語はフィクションであり、実在の実在、企業や団体等とは一切関係ありません。
********
0)
「えー、であるからして、この学校の生徒として誇りを持って、精一杯頑張って欲しいと――」
春休みも開けた。
空 を舞う風も、もう冬のように鋭く冷たいものではない。
窓から注ぎ、顔を撫でる度にうとうと、と心地良い気持ちになる。
それに加えて、五十代後半ぐらいの白髪混じりの校長先生ののんびりした声は、さらに夢の世界に誘うようだ。
今日、芽高 高校は入学式を迎えた。
天井高く、木製の床が広がる体育館にびっしりと並べられたパイプ椅子の上、真新しい制服が光る新入生たちが、胸の中で期待と不安を静かに膨らます。
緊張して固まっている者も。
まだか、まだか、とそわそわする者も。
見事に校長先生の催眠術にかかる者も、皆――。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
この芽高高校でいよいよ、新たな学校生活が始まるのだ――。
********
1)
「――以上、私からの話は終わります。 良い学校生活を送ってください」
校長先生がお辞儀をし、長い長い入学式は終わった。
クラスも発表され、ホームルームで担任や新たな仲間と顔を合わせた新入生たち。
普通ならば、彼らはここで下校となるが、部活が盛んなこの芽高高校では、個人の自由で見学の時間となる。
各部としては後の新たな部員を集めるための、大規模な勧誘合戦の時間でもある。 その手段も多彩で、ポスターやビラ、大段幕にパフォーマンス、直接声をかけたり、とにかく校舎を走り回ったり、その他もろもろ。 とにかく部員総出でありとあらゆる手を尽くす。
おかげで長い廊下は展覧会のように絵が並び、昇校口は獲物を引きずり込む黒い人の大海原となる。
活気があるのはいいのだが、ここまでくると――。
そう思う人もいるだろう。
少なくとも廊下に、ド派手なポスターを興味のなさそうに眺めている男子が一人いる。
名前は、神田 忠音 。 忠音が『ちゅういん』とも呼べるので、チューインガムからあだ名はガム。
顔が中性的で、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめているので私服の際、たまに女子と間違えられること以外はこれといって特徴はない。
勉強もそこそこの成績。 運動もそこそこできて、ゲームやマンガもそこそこ好き。
どこにでもいる新一年生だ。
「メンドくさ…。 こういうのって、金だけ使って無駄な時間だよな」
ガムはフッ、と鼻で笑うとポスターから背を向ける。
そして家に帰るのが一番、と思い歩き出すと――
「うぉぉぉらぁぁ!! 待てや、ガム!!!」
ドゴォォォォ!!
後ろから大きな声と共に強烈な痛みが走り、吹き飛ばされた。
その勢いのまま床に叩き付けられ、ゴロゴロと転がる。
「痛えぇ!! 何すんだよ、シロ!」
ガムがよろける足でゆっくりと立ち上がり、殺気立った眼で見つめる先には綺麗な茶髪の少年が。
「お前が俺様をほって帰ろうとするから悪いねやんか!」
その少年は謝る気なんて無しの、威張った態度をとっている。
関西なまりが特徴的な彼は、神美 白智湖 。 あだ名はシロ。 ガムが小学生の頃からの付き合いで、いわゆる悪友というやつだ。
一言で表せば、『ちゃらいヤツ』。
「んー? ガムはビラを見つめて何をしていたん?
シロは乱れた自称染めていない髪を整え、コロッと態度を変えて言う。
ガムはいつものことだ、と気にも止めず、別に何でもねぇよ、と適当に答えた。
それに付け加えて問う。
「シロこそ、遅かったじゃん? 何してたんだよ?」
「ふふん、よーく耳かっぽじって聴けよ?」
シロはニヤニヤと時代劇の悪人みたいな汚い笑みを浮かべると、腰に手を当てた。 そして自慢げに言う。
「俺様、吹奏楽部に入ることにっ――」
「アホくさ、帰ろ帰ろ」
「ちょい待て、人の話は最後まで聴けや!?」
ガムは、シロが全部言い終わる前にそっぽを向いてさっさと昇校口の靴箱へと歩き出した。
慌ててシロも小走り気味に追いかけ――
「でさー、吹奏楽の女子の先輩にめちゃくちゃ可愛い人がいるねんけどー」
「しつこっ!? てか、大体お前、お玉杓子読めないだろ!?」
「んなもん、愛さえあれば何とかなるもんやろ?」
――アー、ダメダコイツ、ウザイ。
小バエのように纏わり付いてくるシロに対して深い溜息をつくガム。 もう逃げる気も起きなかった。
そんなこともお構いなしに、シロの舌はいつもよりも多めに回ること、回ること。
耳を塞ぎたくなるが、遮るかの様にその舌がふと聞く。
「ガムは何か部活やらへんのか?」
ガムは、ハッ! と鼻で笑った。
「部活? あぁ、決めたよ! やっぱり帰宅部だろ!」
――もうどうにでもなれ。 オレは早く帰りたいんだ!
彼の放った言葉は、そんな気持ちに満ち溢れていた。
しかし、この一言が思わぬ展開となる。
「帰宅部? 帰宅部って言った…!?」
ブワッ!!
ガムは奇妙な悪寒を感じた。
全身から気持ち悪い汗が一気に吹き出す。
シロかと思って、隣を見るが小バエの羽音も静まり返っていた。
顔が真っ青だ。
さっきの何だったんだ? と、ガムは口元に手を当てて、そう思った時――
「よっしゃぁぁぁ!! 新入部員ゲットぉぉぉ!!」
「「っ?!!!」」
突然、目の前から女の人が獲物を狙うチーターのように二人に迫り、首元に喰らいついて一瞬のうちに連れ去ってしまった。
窓の外では強い風が吹き始め、桜の花びらが空を飛んでいた――。
********
2)
少しばかりか、意識を失っていたのだろうか。
気がつけば二人は、薄暗い部屋の床に転がっていた。
「痛っ、ここは何処だ…?」
ガムはゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。
部屋は埃っぽく、使われていない倉庫に机や本棚などを持ち込んだようだった。
部屋の隅のほうに何やらよくわからない物が山になっているが――、ガムは気にしないことにする。
「…てか、いつまでぶっ倒れてるつもりだよ、シロ?」
ガムは足元でうずくまるシロを見下して言う。
「よ、酔った…。 き、気持ち悪っ…」
「おい、吐くなよ?」
シロは真っ青の顔でぐったりした様子だ。
原因はさっきの女の人か、と噂をすれば、ガラガラとドアが開く音がした。
ガムが振り向くと予想通りの展開――そう、あの女の人。
流れるような美しい黒髪のストレートで、整った小顔。 制服の上からでもわかる豊満な胸に、透き通るような白く長い美脚。
アイドル体型というのは、まさにこのことだ。
ガムは少しの間、口を開けたまま彼女を見つめ、動きを止める。
その理由は美しさからか、はたまた恐怖からか――
「俺、神美 白智湖と言います! 貴女のお名前は!?」
「って、シロ、おい」
なんて、ガムが思っているうちに、酔いは何処に行ったか、シロが盛りついた犬のごとく女の人にナンパを始めているではないか。
当然、女の人は苦笑い。
「あ、えーと、私は水野 羊音 。 三年生よ」
羊音と名乗る彼女は、シロを適当にあしらうと中に入り、部屋の中央にある大きな机に腰をかける。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
「帰宅部…?」
彼女の言葉にガムが疑問を口にする。
「あの、オレは神田 忠音。 えと、帰宅部って一体どういうこと何ですか…?」
その答えはドアのほうから返ってきた。
「そのままの意味よ。 帰宅するための部活。 だから帰宅部よ」
声の持ち主は、本を手に持った小さな女の子だった。
一見すると、小学生のよう。
「あら、お帰りなさい、ここあちゃん」
ここあちゃん、と女の人に呼ばれる少女は黒髪を頭の左で束ねていた。
何やら機嫌の悪い雰囲気を出しているのだが。
「わたしは密比菜 心愛 。 一応、ここに入部した一年生よ」
ここあちゃんがそう自己紹介をすると、真っ先に喰らいついたのは、言うまでもなく。
「ここあちゃん! なんてかわいらしい名前なんや! 是非、俺様と――」
ドゴォォォッ!!
犬ッコロの遠吠えが鈍い音に掻き消される。
気がつくと、ここあちゃんが手に持った本の角という名の凶器で、的確にシロの喉を付いていた。
その速さ、一瞬――。
「野郎の分際で近づくな! 死ね、変態っ!」
彼女はとどめに毒を吐くと、シロは崩れ落ちた。
ふんっ! と冷たい表情を見せると、ここあちゃんは足元に転がるゴミのようにシロを踏み付けて中に入る。
神美 白智湖、本日、二連敗。
「ラムネ先輩、なんで男子なんか入れたんですか? わたし、男の人が嫌いって言ったじゃないですか」
「まぁまぁ、ここあちゃん、落ち着いて…。 あと、そのあだ名で呼ばないでよ」
羊=ラム。 音は『ね』と呼べる。 だからラムネ、か。 確かに呼ばれていいあだ名ではない。
何だか急展開の連続で、どんどん話が反れているような気がする。 ――とにかく話を戻そう。
ガムは一旦落ち着いてから、帰宅部を名乗る二人に次の質問を言う。
「帰宅部って、部活に入ってないこと…ですよね? でも、ここは部室もあるし…?」
普通、帰宅部というのは彼が言う通り、『部活動をやっていない。』 『どの部にも所属していない。』ということを遠回しに言った言葉だ。
しかしその問いに、ラムネ先輩は意外な答えを口にする。
「そう、一般的な意味は、ね? でもこの学校では、それを『帰宅組』って言うわ。 『帰宅部』というものは、正式あるのよ!」
――ぶっ飛んだ発言だ。
ガムはそう思ったが、ふと思い出す。 それは入学式での説明会だ。
この学校では部活が盛んで、生徒会への申請が通れば、好きな部活が立ち上げることができるとか何とか。
そんなことを誰かが舞台の上で言っていたような。 ガムはうたた寝もしていたので、興味などなおさら示さなかったのだが。
そして頭によぎったのは、しまった…! という一言。
ガムの額から汗がこぼれ落ちる。
「君、部活といえば、帰宅部…とか、そんな感じのこと言ってなかったっけ?」
先輩が足を組み、ニコニコと黒い笑みを浮かべた。
そう、はめられていたのだ。 初めから。
「え、えと……、失礼しましたぁ!!」
バッ!! と、とっさにドアへ駆け出すガム。
しかし、それ以降の記憶はなく、帰るころには猛烈な頭痛と入部届けが残っていた――。
********
3)
次の日の放課後。
無理矢理入れられた部だ。 行く義理もない。
そう思ってガムは靴箱へ直行――しようと思ったのだが、不幸にも同じクラスだったここあちゃんにその道を塞がれたのだ。
「男嫌いじゃなかったの…?」
「入っちゃったのだからしょうがないじゃない…。 だから、サボったら殺す」
その発言が冗談に聞こえないのもあって、なんだかんだで今日も帰宅部の部室に来てしまった。
帰宅部の部室はとある階段の下に設けられた収納スペースだ。
天井も結構高く、部屋としても十分機能している。
あえて文句を言うならば、窓がないので空気が悪く、埃っぽいことだろうか。
「よぉ、ガム! お前も来たんか!」
ガムとここあちゃんが部室の扉の前で立っていると、シロが階段の手摺りからひょっこり顔を出していた。
シロも昨日、気がつくと入部することになっていたらしい。
「うひょー! ここあちゃん、今日もかわい…グフッ!」
「だから男子は近づかないで!」
しかし彼は、今日も顔に本が減り込んでいるが、アイドル体型の先輩と幼女体型の同級生がいるから満足なのだろう。
ガムは、はぁ…と深い溜息。
馬鹿は幸せでいいな、と。
とにかく今日からいよいよ、部活動が始まるのだ。
ガムは気が進まないが、重い鉄のドアを横引くと、昨日のようにラムネ先輩が椅子でなく、机に腰をかけているのが見えた。
「よっ! 新入生たち!」
ラムネ先輩が明るく手を振る。
この帰宅部は、三年生のラムネ先輩を部長とし、二年生は居ず、残りは新入生のガム、シロ、ここあちゃんの三人だけ。
ラムネ先輩が今年から新たに立ち上げた部らしいが、思った以上に人が集まらなかったようだ。 部活として成り立つ最低限の人数でのスタートとなった。
「それで、帰宅部って何をするんです?」
四人が中央の机を囲むように座ると、真っ先にガムがラムネ先輩に問う。
「あぁ、それを今日は今から考えるのだよ」
えっ…? と、意外な答えを真顔で先輩は答えたので、ガムは戸惑った。
それを見て、ラムネ先輩は付け足すように言う。
「確かに生徒会には『いろんなことを自由にする部』的なことを書いて申請したけど、はっきり言って何も考えてないのよ。 始めだし、こんなものじゃない?」
「まぁ、確かに…」
始めだから、というのは納得できた。
しかし、ガムはこんな無計画な部を許可した生徒会に疑いの眼を向ける。
新たな一年の始まりは、そろそろ生徒会選挙の時期でもある。
次の生徒会はしっかりしてほしいものだ、と。
「じゃあ、今日は帰宅部の活動内容についての会議ということで!」
ラムネ先輩がそう言うと、ここあちゃんが部屋の隅で何やら怪しい動きをしている。
ガムが初めてこの部室に連れてこられて最初に気になった、あの山から、何かを探しているようだ。
しばらくすると、ガラガラと車輪を鳴らして大きなホワイトボードを持ってきた。
あの山から何処にこんなものが? と、ガムは思ったが、身の安全のためだ。 ツッコまないことにする。
部長がキュッキュッ! とペンでホワイトボードに『帰宅部 活動内容会議!』と大きく題を書くと、机をバンッ! と叩いて叫ぶ。
「何か『これぞ、帰宅部だ!』という意見はないか!? あ、『帰る』という意見はだめだぞ?」
――真っ先にそれらしいの潰してるじゃん!!
ガムは先輩の発言に対する、最大の矛盾に心中でツッコむ。
しかし、帰る以外に帰宅部にすることなんてあるのだろうか。
ガムがうーん、と腕を組んで悩んでいると、シロがスッ! と手を挙げる。
一番、考えがなさそうなヤツが手を挙げたので、一同が眼を丸くした。
そして、シロが立ち上がり、口を開く。
「お――、」
「却下」
秒殺。
ここあちゃんがシロが一人称を言い終える前に黙らしてしまったのだ。
シロはストンッ! と椅子に落下し、その勢いのまま、ガバッ! と、机に俯せてしまった。
あまりにも鮮やかな仕留め方だったので、ガムとラムネ先輩は思わず息を詰まらせる。
薄暗い部室には、重い空気が流れ出した。
「え、えーと…、気を取り直して、次に意見がある人…」
この空気を打破しようと、ラムネ先輩は苦笑いで精一杯の一言で切り出す。
しかし、先輩が求めるぶっ飛んだ意見が出るわけもなく――
「えぇ…、『帰る』?」
結局、ラムネ先輩自身が涙目ながらこの案にたどり着いてしまった。
********
4)
結局、勉強や読者、何でもないようなお喋りをして帰宅部の活動としていた。
ガムは気乗りしないが、なんだかんだで毎日、あの重い扉を開けていた。
その理由も様々。
ここあちゃんの脅迫されたり、シロと馬鹿騒ぎをしていたらいつの間にか、そしてラムネ先輩があの入学式の日のように――。
そうして早くも六月。
学生たちは新たな生活にも慣れ、夏休みも近づき、そろそろ中弛みの時期だ。
しかし、その時期に反するような『叫び声』が帰宅部部室には響いていた。
「ぬぉぉぉらぁぁぁあ!!!」
部室の中央に置かれていた机は端に寄せられ、置かれていたのは――。
「なんで、ランニングマシーンが運動部でもないのにあるんだよっ!?」
ガムは永遠に続く黒いベルトの道(ほぼMAXスピード)を全力で駆ける。
なぜなら命がかかっているのだから。
「ほら、口じゃなくて脚動かす!」
ガムの後ろで声をかけるラムネ先輩だが、その手に握られたのは、『釘バット』。
漫画で不良が持っているような、木製のバットにいくつもの釘が打ち込まれた鈍器の定番なアレだ。
もちろん、殴られたら言うまでもなく。
どうしてこうなったのか。
それは、数時間前に遡る――。
「おい、ガム。 何か出てきたで?」
「なんだよ、シロ? これは、ランニングマシーン…?」
部室の隅にある例の山。
あの中からは何が出てくるは全くわからない。
ラムネ先輩も詳しくないらしく、どうやら部室が倉庫として使われていた頃の物らしい。
「それにしたって、なんでランニングマシーンなんや…?」
「さぁ…?」
二人が謎の掘り出し物を眺めていると、ガラガラ! と、扉が開く。
「やっほー! ガム君! シロ君! 何してるの?」
入って来たのは、ラムネ先輩だった。
今日はいいことがあったのか、超ゴキゲンハイテンションだ。
「あ、ラムネ先輩。 なんかランニングマシーンが出てきたんや」
「ラムネ言うな! …って、おぉう!? この部室にこんなお宝が眠っていたとは…!!」
シロが説明すると、ラムネ先輩は眼をキラキラさせ、子供のような仕草でランニングマシーンを見つめる。
「コレ、動くの…?」
「さぁ…? 機械には疎いんでわかりませんわ…」
二人はジーッ、と機械とにらめっこしていたが、ふとガムのほうに振り向く。
えっ!? と不意打ちを受けたガムは、慌てて首を横に振る。
ガムもゲームとかパソコンとか、それなりに使うほうだが、特別機械に強いわけではない。
ましてやこういった物には、なおさら興味がない。
三人がうーん、と頭の上で沢山『?』を浮かべて唸っていると、また扉が開く音が。
「ちはー、先輩。 あと、糞野郎共二人。 今日は早いですねー」
やる気のなさそうな声で、ここあちゃんが入ってきた。
相変わらず手には紙のカバーがかけられた本を持ち、視線は常にそちらだ。
「あ、ここあちゃん、いいところに! コレ、動かせるかな?」
ラムネ先輩が期待を込めて声をかけると、ここあちゃんは目線だけコチラを向ける。
「ランニングマシーン…ですか。 まぁ、できないこともないですけど」
彼女はそう言うと、本と鞄を机に置き、ゆっくりと問題の物に近づく。
それからグルリと一周して観察すると、コンセントを手に取り、壁にある差し込み口へ。
ピーッ!
ランニングマシーンが、その身に電気が通ると濁った短い声を上げた。
ビクッ! と、驚いた三人は、思わず一歩下がる。
「おぉう!? なんか鳴ったけど、大丈夫なの?」
オロオロするラムネ先輩。
「大丈夫、多分、起動音です。 壊れていたら、そもそも音も鳴りませんよ」
それを冷静にツッコむここあちゃん。
ラムネ先輩はいわゆる機械の操作を誤ると爆発する―そんなことを考える人なのだな、とガムは見る。
ピッ、ピッ、と手際よくボタンを叩き、操作ある程度理解したのか、なるほど、とつぶやいたここあちゃんは、シロのほうを向いて手招き。
「ここ、乗って」
「ん? なんや!? 俺様にお願い事!? しょうがないなー!」
滅多にないここあちゃんからの頼みもあって、シロは満面の笑みを浮かべてランニングマシーンに飛び乗る。
そして――
「死ね」
「え?」
ピッ!
ここあちゃんがボソッ、と小声でつぶやくと、ランニングマシーンが軽い音を鳴らす。
マシーンの黒いベルトの道が滑り出し、クォォォォン!! という音を立ててモーターがフル稼動してどんどん加速していく。
「な、なんや、速ないか?」
女の子にボコボコにされても立ち上がるぐらいにタフなシロだが、今回は違和感を感じた。
手前にあるマシーンの画面へ目を落とす――
『SPEED:MAX』
「……っ!? ちょ、ここあちゃ―」
シロが気づいた頃にはもう遅く、ランニングマシーンは限界速度に達する。
顔を歪め、全力で脚を前へと振るがそれも虚しく、氷の上で足をくじいたように彼は崩れ落ちる――。
グチャ。
何やら部活では無縁の音が響いた。
「あ、死んだ」
ここあちゃんはギャァァァ! と、音を立てる凶器と化した機械の前に倒れている物を見下ろし、珍しく嬉しそう。 相変わらず彼女の男嫌いは本物だ。
ガムは苦笑いするしかなかった。
「シロ、ご愁傷様だぜ…って、先輩何処行った?」
気がつくと、ラムネ先輩もあの山に顔を突っ込み何かをあさっている。
「あった、あった! 懐かしい!!」
そう嬉しそうな声を出して手に取った物は――釘バット。
当然、いいイメージはしない。
ラムネ先輩はその鈍器をくるりと回し、笑顔でガムに言う。
「いいこと思い付いたの! 帰宅部って、やっぱり早く帰れるようにしないといけないと思うの。 だから駅まで早く歩くためにも、脚の筋力は必要だよね?」
「え、えーと、オレ、自転車通学なんで……、帰りますっ!!」
バッ!! と、とっさにドアに駆け出すガム。
しかし、その道を遮るここあちゃん。
「自転車にも、脚の筋力はいる」
「あは、あは、あはははは…ですよねぇ…?」
――そんなわけで。
「ちょっと、落ちそうになってるよ! もっと脚を動かす!」
「もう無理! 死ぬ! 絶対死ぬっ!」
もうそろそろ、ガムの脚は限界だ。
学校では絶対にありえない、赤い世界はもうすぐそこ。(正しくは、すでに少しだけ広がっているが。)
もしこの世界を生徒会に見つかったら確実に廃部だ。
いや、ガムにとっては都合がいいが、命と引き換えるわけにはいかない。
今月に入り、生徒会役員は一新された。
中でも生徒会長、西園寺 博文は正義感が強く、副会長の犬養 千里と共によく見回りをしているらしい。
――もしかしたら、帰宅部史上、いやオレの人生史上最大のピンチ?
そうガムの頭によぎった。
次の瞬間――
ガラガラッ!
部室のドアが勢いよく開く。
立っているのは、案の定。
生徒会会長の目には、この風景がどう映るだろう。
フル稼動するランニングマシーン、
泣きながら走り続ける少年、
それを見て微笑む幼女、
床に転がる赤い物体、
そしてアイドルなお姉さんが構える釘バット。
部室には重い機械音と、足音だけが響く。
――終わった! この部は終わった!
ガムは思った。 もう笑うしかない、どうにでもなれ。
しかし生徒会は、失礼しましたっ! の一言だけを残して、バンッ! と慌ててドア閉めて去っていった。
「え…?」
予想外の展開に部員皆が眼を丸くする。
ガムも思わず脚を止め――
――ぶすっ、ぐちゃ。
********
5)
梅雨も明け、陽射しも夏らしくなってきた。
青空が広がり、綿菓子のような入道雲が流れる。
七月。
夏休みも直前で、どの部も大会で忙しくなる時期だが、帰宅部にそんな一大イベントがあるわけもなく、窓のない薄暗い部室変わらない日々を過ごしていた。
今日を除いては。
「よーし! 今日は清掃活動だぁ!!」
暑い昼下がり、さらに気温を上げるようなテンションでジャージ姿のラムネ先輩が両手を空に突き出して叫ぶ。
今日は学期末に行われている清掃活動の日だ。
この芽高高校では、生徒会と運動部、個人のボランティアで通学路の清掃活動を行っている。
あのランニングマシーン事件の後、ラムネ先輩は帰宅部が廃部にならないか、かなり悩んでいたらしい。
この清掃活動で、生徒会にいいところをアピールしよう、という手のようだ。
「暑いのに、ラムネ先輩は元気ですねー…」
長い長いコンクリートの道の向こうは、ユラユラと揺れている。
そんな道の側面にある排水溝から、空き缶を拾い上げてゴミ袋に放り込むガムが、面倒臭さそうに言う。
「ラムネ言うな! いい、ガム君? こういうのは、楽しんだもの勝ちなんだから!」
「楽しんだもの勝ち…ですか?」
ラムネ先輩は、早くも開始十分で支給されたゴミ袋一つを一杯にし、ガムの袋にまでゴミを放り込む勢い。
その仕草は小さな子供のようで、笑顔いっぱいだった。
ガムにとっては何が楽しいかわからない。
「なんで先輩は熱心で、いつも楽しそうなんだろう…」
ガムはふと思った疑問をつぶやく。
毎日毎日、部活に通って、楽しそうに笑っている。
ガムには理解できなかった。 とても不思議な気持ちだった。
胸の奥がモヤモヤとする。
「ていうか、ラムネ先輩は受験勉強とかしなくていいんですか?」
ガムが学生では誰でもするような話題をラムネ先輩に振った。
それに彼女はあっさり答える。
「私は専門学校だもん♪ てか、ラムネって言うなぁ!」
ラムネ先輩はぶんぶんっ! と腕を振り、本当に小さな子供のようだ。
「ガム君こそ、進路とか、将来の夢とかあるの?」
今度はラムネ先輩から、ガムに問い掛ける。
「オレには夢とかないですよ。 やりたいことも特にないですし」
ガムもまたあっさり答えた。
それを聞いて、先輩は言う。
「そっかぁ、でもきっと見つかるよ! ガム君のしたいこと!」
「はぁ…、そんなものですかね?」
「そんなものだよ! 人生って」
やっぱり先輩の言うことはわからない。
ガムは適当な返事をして、また一つ空っぽの缶をゴミ袋に入れる。 自分の夢のような缶を。
と、その時。
「お嬢さん! 俺様と一緒にゴミを集めへんか!? ついでに俺様たちの愛も!」
何者かに声を掛けられ、バッ! と手を捕まれる。
「おい、シロ。 オレは男だ…」
「なんや、ガムか…。 ジャージ着てたら後ろ姿が女に見えるわ」
声の持ち主はシロだった。
シロは、チッ! と舌打ちをして、ガムの手を払う。
当然、女と間違えられ、舌打ちまでされたほうはいい気分ではない。
確かに顔が中性的、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめている人がジャージを着ていれば、女の子と間違われてもしょうがないことは、本人が一番自覚しているのだが。
「シロ、ちょっとコッチ向け」
「なんや?」
ガムがちゃら男をしっかりと正面に向かせる。
そして次の瞬間――
「歯ぁ、食いしばれよっ!」
「っ?!!」
ドゴォォォッ!!
ガムがシロの顔面を全力で殴り飛ばした。
シロの顔が歪み、宙を舞い、グシャァッ! と、真夏の道端に沈む。
ガムは手の埃をパンパン、と払い、ふぅー、と短く息を吐く。
しかしどこか不満げな顔。 どこかスッキリしない気分。
――わからねぇ、何なんだ、この気持ち。
空模様が何だか急に悪くなってきた。
分厚い雲が、太陽の陽射しを遮る。
やがて雨が降り出し、学生たちの手も止めた。
――なんだってんだよ…。
「ガム! ガム! 帰ろっ!」
「っ!?」
ふと、ガムが気づくとここあちゃんが顔を覗くようにして、名前を呼んでいた。
彼女に呼び掛けられて、ガムはようやく今の状況に気づく。
「清掃活動は中止だって。 帰ろ?」
「あ、あぁ……」
まだガムは少しボーッとした様子で、とりあえずの生返事をする。
それを受けて、どうしたの? と、珍しく男嫌いのここあちゃんが聞くので、慌てて、なんでもない! と、首を横に振った。
「ふーん…、まぁ、私には関係からいいけど。 でも…」
「…?」
本当に珍しい。
喋り方はいつもの調子だが、今日のここあちゃんは、妙に話を振ってくる。
疑問に思ったガムが、どうしたの? と聞くと、さらに珍しく、顔を少しばかりか赤らめて、恥ずかしそうな仕草を見せた。
そして、口を動かす――
「ジャージ姿は、いいね…。 嫌いじゃないかも」
「それって、オレが女っぽいってことですか?」
内心、若干だったが少し期待をしたガム。
ここあちゃんも女子(女っぽいのも可)に対しては、こんなに態度が違うのか、と。
そんなガムは心中で叫ぶ。
――オレが馬鹿でした。
********
行間1)
部活が終わり、下校をするころには雨も上がり、空は綺麗な茜色に染まっていた。
ガムとシロも赤く染まり、二人はコンクリートの道を自転車で駆ける。
シロは妹がダッツをどうとか、と一人で騒いでいるがガムは気にも止めない。
「なぁ、シロ?」
ふと、ガムが茶髪を風に揺らすシロに問う。
「なんや?」
シロも少し元気のないガムに問い返す。
「なんで、ラムネ先輩ってあんなに頑張っているのかな? あんなに笑っているのかな?」
ちょっと変わった質問だった。
ガムもどうしてこんなことを言ったのか、わかっていない。
ただ、胸の奥で何かがモヤモヤと渦を巻く――。
シロは、そうやなー、と少し考え、答えた。
「部活が楽しいんちゃう? 俺もよぉわからへんけど、部活が楽しいから一生懸命頑張るのは、当たり前のことちゃうかな?」
「当たり前…」
ガムは、やはりよくわからなかった。
今まで十六年間生きてきたが、何かを頑張って楽しかった――そんな記憶はない。
忘れているだけかもしれない。 しかし、少なくとも今はわからない。
「まぁ、楽しんだもん勝ちや! 確かに俺も先輩に無理矢理入れられたわけやけど、今はすげぇ楽しいで!」
「楽しんだもの勝ち…か」
ラムネ先輩も同じことを言っていたような気がする。
ガムの胸の奥で、さらに渦が大きくなる。
夕焼けの空の下、温かい風が吹く。
しかし、ガムには少し寒く感じた。
********
6)
夏休みが明け、九月。
どこの部も三年生が引退し、受験勉強の重い空気が漂い始める時期。
しかし帰宅部では、専門学校希望のラムネ先輩は相変わらず毎日机の上に腰かけている。
ただ、別の意味で、重い空気が流れ始めていた――。
「うーん…、大丈夫かな…」
今日一番に来たラムネ先輩は、いつもの机の上で一枚の紙とにらめっこをしていた。
後からガラガラと扉が開き、一年生三人組が入ってくる。
「ちはー。 ラムネ先輩どうしたんですか?」
真っ先に気づいたのは、ここあちゃんだった。
ラムネ先輩は、いつもみたいにあだ名に対するツッコみはいれず、ただ、あぁ…、とつぶやいて手に持つ紙を三人に見せる。
「『部活動新設規制のお知らせ』? なんやコレ?」
シロが紙に印刷された文字を読む。
その内容は、最近、芽高高校は部が増えすぎて部費の予算が足りなくなってきているらしい。
そのため、部を新たに立ち上げるのを規制するというものだ。
それに加えて、あまり実績のない部は部費を減らしたり、部室を他の部に受け渡したり、最悪では廃部になる場合があるらしい。
「ここのところ、毎年、この時期になるとこのプリントが配られるのね…。 困ったなぁ…」
ラムネ先輩は、苦笑いで頬をかく。
確かに帰宅部は大会もない、文芸みたいに部誌も発行しないし、文化祭に出せるような物もない。
実際、勉強か遊んで帰るだけの部。 そんなこと、家に帰ってからでもできる。
部活が乗り気ではないガムには、都合のいい話だ。 このまま廃部になれば、無理矢理、毎日ここに通う必要もない。
しかし、なぜだかわからないが、心から喜べなかった。
一学期からずっと、黒い渦が巻き続けていた。
「しょうがない、頑張って生徒会にアピールし続けるしかないよね! みんな頑張ろう!」
そう明るくラムネ先輩が三人に声を掛けた。
その時――
「それはもう無理です」
バンッ! と突然、扉が勢いよく開き、銀髪で眼鏡をした男性が部室に遠慮なく入ってきたのだ。
「教頭先生…!」
ラムネ先輩が顔を強張らせて男性の正体を言った。
教頭先生は何やら深刻な顔付きで部室を見回し、そしてラムネ先輩を睨む。
「水野さん、この帰宅部を…いえ、元・萬部を今度こそ廃部にさせてもらいますよ?」
教頭先生から告げられたのは、残酷な宣告。
しかしラムネ先輩は、いつもにない必死な表情で、反論する。
「ダメです! この部は先輩たちが残してくれた、大切な居場所! 廃部なんかにはさせません!」
――『元・萬部』?
ガムの頭に疑問が浮かぶ。
「先輩、どういうことですか? この帰宅部は新たに立ち上げた部だったのでは…?」
ガムが問うと、答えは教頭先生が告げた。
「気づきましたか? この帰宅部は、去年の名前は『なんでも部』。 その前の年は、『萬部』だったんですよ」
「え…?」
ガム、そしてシロ、ここあちゃんも眼を丸くし、額から気持ち悪い汗が流れ落ちる。 胸の鼓動も早く打つ。
「廃部になるからって、登録名と活動場所を変えて存続させるとは…。 校則とまでは言いませんが、マナー違反ですよ」
教頭先生は衝撃の事実を突き付けると、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。
『廃部許可書』
生徒会公認の印も押されている。
「これを教員会議で出せば、この部は終わりです。 いい加減、諦めたらどうですか? 時に諦めることも大事なことですよ」
教頭先生からの、トドメの一撃。
ラムネ先輩の眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。
――なんだよ、これ。 こんなのありかよ?
また、ガムの心が大きくざわつき始める。
――こんなの、こんなのって…。
そして――
「先生、待ってください」
気がつくと、口が動いていた。
「いきなり諦めろ、って言われても、納得行きませんよ!」
よくわからない気持ちが爆発する。
「先生だって、いきなり仕事やめろと言われたら、納得いかないでしょう? 抗議するでしょう? 同じことですよ!」
――何、教師に反抗しているのだろう、オレ。 不良みたいじゃないか。
そう思う自分もいたが、ガムは止められなかった。
そんなガムの行動は、教頭先生に一つの案を出させる。
「いいでしょう、勝負をしましょうか。 あなたたちは、今は帰宅部です。 芽高高校から加茂芽 駅までの通学路で陸上部とリレーをしてもらいましょう。 もしあなたたちが勝ったら、廃部の件は無しにします」
「わかりました。 でも練習をする時間を下さい」
無茶苦茶な条件だった。 それでも、部が存続するには戦うしかない。
「いいでしょう。 では、一週間後に」
そう言って、教頭先生は部屋を出ていった。
張り詰めた空気が、一瞬のうちに緩む。
部屋は静まり返る。
「は、ははは…、ゴメン、先輩、みんな。 変な賭けに乗っちまった…」
ガムが崩れた笑顔と震えた声で、皆のほうを向く。
「いや、かっこよかったで」
それにシロが微笑み返す。
「まぁ、ガムのくせによくやったんじゃない?」
少し照れ臭そうに、ここあちゃんが言う。
「ううん…、ありがとう、ガム君!」
溢れる涙を拭って、ラムネ先輩が笑う。
さっきのガムは、いつものガムと違った。
三人共、少し驚いたが、あのやる気のないガムが、部活を守るために立ち向かったことが嬉しかった。
彼の心の中で、何かが変わろうとしていたのだ――。
********
小さな頃、夢があったこと、今でも覚えていますか?
あの頃は何でも楽しかった、覚えていますか?
いつからだろ、
現実を見て、
周りに溶け込んで、
夢を忘れて。
あの頃の様にもう笑えないの?
そんなこと、ない―
ほら、今でも探せば、
『見れるさ』
まだ間に合うよ、追いかければ、
君には時間がある。
わずかだけど、とても長い―
長いけど、とても短い。
一瞬だけど大きな物。 きっと一生の宝物。
さぁ始めよう、君夢語り。
最初の一歩は怖いけど。
向こうにいる君の知らない、
仲間たちはきっと温かく迎えてくれるはずさ。
そして背中押してくれるよ、夢の果てまで。
追い風のように―。
********
この物語はフィクションであり、実在の実在、企業や団体等とは一切関係ありません。
********
0)
「えー、であるからして、この学校の生徒として誇りを持って、精一杯頑張って欲しいと――」
春休みも開けた。
窓から注ぎ、顔を撫でる度にうとうと、と心地良い気持ちになる。
それに加えて、五十代後半ぐらいの白髪混じりの校長先生ののんびりした声は、さらに夢の世界に誘うようだ。
今日、
天井高く、木製の床が広がる体育館にびっしりと並べられたパイプ椅子の上、真新しい制服が光る新入生たちが、胸の中で期待と不安を静かに膨らます。
緊張して固まっている者も。
まだか、まだか、とそわそわする者も。
見事に校長先生の催眠術にかかる者も、皆――。
とある世界のとある場所。 そう、これは無限にも存在する世界の中のその一つの物語。
この芽高高校でいよいよ、新たな学校生活が始まるのだ――。
********
1)
「――以上、私からの話は終わります。 良い学校生活を送ってください」
校長先生がお辞儀をし、長い長い入学式は終わった。
クラスも発表され、ホームルームで担任や新たな仲間と顔を合わせた新入生たち。
普通ならば、彼らはここで下校となるが、部活が盛んなこの芽高高校では、個人の自由で見学の時間となる。
各部としては後の新たな部員を集めるための、大規模な勧誘合戦の時間でもある。 その手段も多彩で、ポスターやビラ、大段幕にパフォーマンス、直接声をかけたり、とにかく校舎を走り回ったり、その他もろもろ。 とにかく部員総出でありとあらゆる手を尽くす。
おかげで長い廊下は展覧会のように絵が並び、昇校口は獲物を引きずり込む黒い人の大海原となる。
活気があるのはいいのだが、ここまでくると――。
そう思う人もいるだろう。
少なくとも廊下に、ド派手なポスターを興味のなさそうに眺めている男子が一人いる。
名前は、
顔が中性的で、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめているので私服の際、たまに女子と間違えられること以外はこれといって特徴はない。
勉強もそこそこの成績。 運動もそこそこできて、ゲームやマンガもそこそこ好き。
どこにでもいる新一年生だ。
「メンドくさ…。 こういうのって、金だけ使って無駄な時間だよな」
ガムはフッ、と鼻で笑うとポスターから背を向ける。
そして家に帰るのが一番、と思い歩き出すと――
「うぉぉぉらぁぁ!! 待てや、ガム!!!」
ドゴォォォォ!!
後ろから大きな声と共に強烈な痛みが走り、吹き飛ばされた。
その勢いのまま床に叩き付けられ、ゴロゴロと転がる。
「痛えぇ!! 何すんだよ、シロ!」
ガムがよろける足でゆっくりと立ち上がり、殺気立った眼で見つめる先には綺麗な茶髪の少年が。
「お前が俺様をほって帰ろうとするから悪いねやんか!」
その少年は謝る気なんて無しの、威張った態度をとっている。
関西なまりが特徴的な彼は、
一言で表せば、『ちゃらいヤツ』。
「んー? ガムはビラを見つめて何をしていたん?
シロは乱れた自称染めていない髪を整え、コロッと態度を変えて言う。
ガムはいつものことだ、と気にも止めず、別に何でもねぇよ、と適当に答えた。
それに付け加えて問う。
「シロこそ、遅かったじゃん? 何してたんだよ?」
「ふふん、よーく耳かっぽじって聴けよ?」
シロはニヤニヤと時代劇の悪人みたいな汚い笑みを浮かべると、腰に手を当てた。 そして自慢げに言う。
「俺様、吹奏楽部に入ることにっ――」
「アホくさ、帰ろ帰ろ」
「ちょい待て、人の話は最後まで聴けや!?」
ガムは、シロが全部言い終わる前にそっぽを向いてさっさと昇校口の靴箱へと歩き出した。
慌ててシロも小走り気味に追いかけ――
「でさー、吹奏楽の女子の先輩にめちゃくちゃ可愛い人がいるねんけどー」
「しつこっ!? てか、大体お前、お玉杓子読めないだろ!?」
「んなもん、愛さえあれば何とかなるもんやろ?」
――アー、ダメダコイツ、ウザイ。
小バエのように纏わり付いてくるシロに対して深い溜息をつくガム。 もう逃げる気も起きなかった。
そんなこともお構いなしに、シロの舌はいつもよりも多めに回ること、回ること。
耳を塞ぎたくなるが、遮るかの様にその舌がふと聞く。
「ガムは何か部活やらへんのか?」
ガムは、ハッ! と鼻で笑った。
「部活? あぁ、決めたよ! やっぱり帰宅部だろ!」
――もうどうにでもなれ。 オレは早く帰りたいんだ!
彼の放った言葉は、そんな気持ちに満ち溢れていた。
しかし、この一言が思わぬ展開となる。
「帰宅部? 帰宅部って言った…!?」
ブワッ!!
ガムは奇妙な悪寒を感じた。
全身から気持ち悪い汗が一気に吹き出す。
シロかと思って、隣を見るが小バエの羽音も静まり返っていた。
顔が真っ青だ。
さっきの何だったんだ? と、ガムは口元に手を当てて、そう思った時――
「よっしゃぁぁぁ!! 新入部員ゲットぉぉぉ!!」
「「っ?!!!」」
突然、目の前から女の人が獲物を狙うチーターのように二人に迫り、首元に喰らいついて一瞬のうちに連れ去ってしまった。
窓の外では強い風が吹き始め、桜の花びらが空を飛んでいた――。
********
2)
少しばかりか、意識を失っていたのだろうか。
気がつけば二人は、薄暗い部屋の床に転がっていた。
「痛っ、ここは何処だ…?」
ガムはゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。
部屋は埃っぽく、使われていない倉庫に机や本棚などを持ち込んだようだった。
部屋の隅のほうに何やらよくわからない物が山になっているが――、ガムは気にしないことにする。
「…てか、いつまでぶっ倒れてるつもりだよ、シロ?」
ガムは足元でうずくまるシロを見下して言う。
「よ、酔った…。 き、気持ち悪っ…」
「おい、吐くなよ?」
シロは真っ青の顔でぐったりした様子だ。
原因はさっきの女の人か、と噂をすれば、ガラガラとドアが開く音がした。
ガムが振り向くと予想通りの展開――そう、あの女の人。
流れるような美しい黒髪のストレートで、整った小顔。 制服の上からでもわかる豊満な胸に、透き通るような白く長い美脚。
アイドル体型というのは、まさにこのことだ。
ガムは少しの間、口を開けたまま彼女を見つめ、動きを止める。
その理由は美しさからか、はたまた恐怖からか――
「俺、神美 白智湖と言います! 貴女のお名前は!?」
「って、シロ、おい」
なんて、ガムが思っているうちに、酔いは何処に行ったか、シロが盛りついた犬のごとく女の人にナンパを始めているではないか。
当然、女の人は苦笑い。
「あ、えーと、私は
羊音と名乗る彼女は、シロを適当にあしらうと中に入り、部屋の中央にある大きな机に腰をかける。
「ようこそ、帰宅部へ! 歓迎するよ、新入生」
「帰宅部…?」
彼女の言葉にガムが疑問を口にする。
「あの、オレは神田 忠音。 えと、帰宅部って一体どういうこと何ですか…?」
その答えはドアのほうから返ってきた。
「そのままの意味よ。 帰宅するための部活。 だから帰宅部よ」
声の持ち主は、本を手に持った小さな女の子だった。
一見すると、小学生のよう。
「あら、お帰りなさい、ここあちゃん」
ここあちゃん、と女の人に呼ばれる少女は黒髪を頭の左で束ねていた。
何やら機嫌の悪い雰囲気を出しているのだが。
「わたしは
ここあちゃんがそう自己紹介をすると、真っ先に喰らいついたのは、言うまでもなく。
「ここあちゃん! なんてかわいらしい名前なんや! 是非、俺様と――」
ドゴォォォッ!!
犬ッコロの遠吠えが鈍い音に掻き消される。
気がつくと、ここあちゃんが手に持った本の角という名の凶器で、的確にシロの喉を付いていた。
その速さ、一瞬――。
「野郎の分際で近づくな! 死ね、変態っ!」
彼女はとどめに毒を吐くと、シロは崩れ落ちた。
ふんっ! と冷たい表情を見せると、ここあちゃんは足元に転がるゴミのようにシロを踏み付けて中に入る。
神美 白智湖、本日、二連敗。
「ラムネ先輩、なんで男子なんか入れたんですか? わたし、男の人が嫌いって言ったじゃないですか」
「まぁまぁ、ここあちゃん、落ち着いて…。 あと、そのあだ名で呼ばないでよ」
羊=ラム。 音は『ね』と呼べる。 だからラムネ、か。 確かに呼ばれていいあだ名ではない。
何だか急展開の連続で、どんどん話が反れているような気がする。 ――とにかく話を戻そう。
ガムは一旦落ち着いてから、帰宅部を名乗る二人に次の質問を言う。
「帰宅部って、部活に入ってないこと…ですよね? でも、ここは部室もあるし…?」
普通、帰宅部というのは彼が言う通り、『部活動をやっていない。』 『どの部にも所属していない。』ということを遠回しに言った言葉だ。
しかしその問いに、ラムネ先輩は意外な答えを口にする。
「そう、一般的な意味は、ね? でもこの学校では、それを『帰宅組』って言うわ。 『帰宅部』というものは、正式あるのよ!」
――ぶっ飛んだ発言だ。
ガムはそう思ったが、ふと思い出す。 それは入学式での説明会だ。
この学校では部活が盛んで、生徒会への申請が通れば、好きな部活が立ち上げることができるとか何とか。
そんなことを誰かが舞台の上で言っていたような。 ガムはうたた寝もしていたので、興味などなおさら示さなかったのだが。
そして頭によぎったのは、しまった…! という一言。
ガムの額から汗がこぼれ落ちる。
「君、部活といえば、帰宅部…とか、そんな感じのこと言ってなかったっけ?」
先輩が足を組み、ニコニコと黒い笑みを浮かべた。
そう、はめられていたのだ。 初めから。
「え、えと……、失礼しましたぁ!!」
バッ!! と、とっさにドアへ駆け出すガム。
しかし、それ以降の記憶はなく、帰るころには猛烈な頭痛と入部届けが残っていた――。
********
3)
次の日の放課後。
無理矢理入れられた部だ。 行く義理もない。
そう思ってガムは靴箱へ直行――しようと思ったのだが、不幸にも同じクラスだったここあちゃんにその道を塞がれたのだ。
「男嫌いじゃなかったの…?」
「入っちゃったのだからしょうがないじゃない…。 だから、サボったら殺す」
その発言が冗談に聞こえないのもあって、なんだかんだで今日も帰宅部の部室に来てしまった。
帰宅部の部室はとある階段の下に設けられた収納スペースだ。
天井も結構高く、部屋としても十分機能している。
あえて文句を言うならば、窓がないので空気が悪く、埃っぽいことだろうか。
「よぉ、ガム! お前も来たんか!」
ガムとここあちゃんが部室の扉の前で立っていると、シロが階段の手摺りからひょっこり顔を出していた。
シロも昨日、気がつくと入部することになっていたらしい。
「うひょー! ここあちゃん、今日もかわい…グフッ!」
「だから男子は近づかないで!」
しかし彼は、今日も顔に本が減り込んでいるが、アイドル体型の先輩と幼女体型の同級生がいるから満足なのだろう。
ガムは、はぁ…と深い溜息。
馬鹿は幸せでいいな、と。
とにかく今日からいよいよ、部活動が始まるのだ。
ガムは気が進まないが、重い鉄のドアを横引くと、昨日のようにラムネ先輩が椅子でなく、机に腰をかけているのが見えた。
「よっ! 新入生たち!」
ラムネ先輩が明るく手を振る。
この帰宅部は、三年生のラムネ先輩を部長とし、二年生は居ず、残りは新入生のガム、シロ、ここあちゃんの三人だけ。
ラムネ先輩が今年から新たに立ち上げた部らしいが、思った以上に人が集まらなかったようだ。 部活として成り立つ最低限の人数でのスタートとなった。
「それで、帰宅部って何をするんです?」
四人が中央の机を囲むように座ると、真っ先にガムがラムネ先輩に問う。
「あぁ、それを今日は今から考えるのだよ」
えっ…? と、意外な答えを真顔で先輩は答えたので、ガムは戸惑った。
それを見て、ラムネ先輩は付け足すように言う。
「確かに生徒会には『いろんなことを自由にする部』的なことを書いて申請したけど、はっきり言って何も考えてないのよ。 始めだし、こんなものじゃない?」
「まぁ、確かに…」
始めだから、というのは納得できた。
しかし、ガムはこんな無計画な部を許可した生徒会に疑いの眼を向ける。
新たな一年の始まりは、そろそろ生徒会選挙の時期でもある。
次の生徒会はしっかりしてほしいものだ、と。
「じゃあ、今日は帰宅部の活動内容についての会議ということで!」
ラムネ先輩がそう言うと、ここあちゃんが部屋の隅で何やら怪しい動きをしている。
ガムが初めてこの部室に連れてこられて最初に気になった、あの山から、何かを探しているようだ。
しばらくすると、ガラガラと車輪を鳴らして大きなホワイトボードを持ってきた。
あの山から何処にこんなものが? と、ガムは思ったが、身の安全のためだ。 ツッコまないことにする。
部長がキュッキュッ! とペンでホワイトボードに『帰宅部 活動内容会議!』と大きく題を書くと、机をバンッ! と叩いて叫ぶ。
「何か『これぞ、帰宅部だ!』という意見はないか!? あ、『帰る』という意見はだめだぞ?」
――真っ先にそれらしいの潰してるじゃん!!
ガムは先輩の発言に対する、最大の矛盾に心中でツッコむ。
しかし、帰る以外に帰宅部にすることなんてあるのだろうか。
ガムがうーん、と腕を組んで悩んでいると、シロがスッ! と手を挙げる。
一番、考えがなさそうなヤツが手を挙げたので、一同が眼を丸くした。
そして、シロが立ち上がり、口を開く。
「お――、」
「却下」
秒殺。
ここあちゃんがシロが一人称を言い終える前に黙らしてしまったのだ。
シロはストンッ! と椅子に落下し、その勢いのまま、ガバッ! と、机に俯せてしまった。
あまりにも鮮やかな仕留め方だったので、ガムとラムネ先輩は思わず息を詰まらせる。
薄暗い部室には、重い空気が流れ出した。
「え、えーと…、気を取り直して、次に意見がある人…」
この空気を打破しようと、ラムネ先輩は苦笑いで精一杯の一言で切り出す。
しかし、先輩が求めるぶっ飛んだ意見が出るわけもなく――
「えぇ…、『帰る』?」
結局、ラムネ先輩自身が涙目ながらこの案にたどり着いてしまった。
********
4)
結局、勉強や読者、何でもないようなお喋りをして帰宅部の活動としていた。
ガムは気乗りしないが、なんだかんだで毎日、あの重い扉を開けていた。
その理由も様々。
ここあちゃんの脅迫されたり、シロと馬鹿騒ぎをしていたらいつの間にか、そしてラムネ先輩があの入学式の日のように――。
そうして早くも六月。
学生たちは新たな生活にも慣れ、夏休みも近づき、そろそろ中弛みの時期だ。
しかし、その時期に反するような『叫び声』が帰宅部部室には響いていた。
「ぬぉぉぉらぁぁぁあ!!!」
部室の中央に置かれていた机は端に寄せられ、置かれていたのは――。
「なんで、ランニングマシーンが運動部でもないのにあるんだよっ!?」
ガムは永遠に続く黒いベルトの道(ほぼMAXスピード)を全力で駆ける。
なぜなら命がかかっているのだから。
「ほら、口じゃなくて脚動かす!」
ガムの後ろで声をかけるラムネ先輩だが、その手に握られたのは、『釘バット』。
漫画で不良が持っているような、木製のバットにいくつもの釘が打ち込まれた鈍器の定番なアレだ。
もちろん、殴られたら言うまでもなく。
どうしてこうなったのか。
それは、数時間前に遡る――。
「おい、ガム。 何か出てきたで?」
「なんだよ、シロ? これは、ランニングマシーン…?」
部室の隅にある例の山。
あの中からは何が出てくるは全くわからない。
ラムネ先輩も詳しくないらしく、どうやら部室が倉庫として使われていた頃の物らしい。
「それにしたって、なんでランニングマシーンなんや…?」
「さぁ…?」
二人が謎の掘り出し物を眺めていると、ガラガラ! と、扉が開く。
「やっほー! ガム君! シロ君! 何してるの?」
入って来たのは、ラムネ先輩だった。
今日はいいことがあったのか、超ゴキゲンハイテンションだ。
「あ、ラムネ先輩。 なんかランニングマシーンが出てきたんや」
「ラムネ言うな! …って、おぉう!? この部室にこんなお宝が眠っていたとは…!!」
シロが説明すると、ラムネ先輩は眼をキラキラさせ、子供のような仕草でランニングマシーンを見つめる。
「コレ、動くの…?」
「さぁ…? 機械には疎いんでわかりませんわ…」
二人はジーッ、と機械とにらめっこしていたが、ふとガムのほうに振り向く。
えっ!? と不意打ちを受けたガムは、慌てて首を横に振る。
ガムもゲームとかパソコンとか、それなりに使うほうだが、特別機械に強いわけではない。
ましてやこういった物には、なおさら興味がない。
三人がうーん、と頭の上で沢山『?』を浮かべて唸っていると、また扉が開く音が。
「ちはー、先輩。 あと、糞野郎共二人。 今日は早いですねー」
やる気のなさそうな声で、ここあちゃんが入ってきた。
相変わらず手には紙のカバーがかけられた本を持ち、視線は常にそちらだ。
「あ、ここあちゃん、いいところに! コレ、動かせるかな?」
ラムネ先輩が期待を込めて声をかけると、ここあちゃんは目線だけコチラを向ける。
「ランニングマシーン…ですか。 まぁ、できないこともないですけど」
彼女はそう言うと、本と鞄を机に置き、ゆっくりと問題の物に近づく。
それからグルリと一周して観察すると、コンセントを手に取り、壁にある差し込み口へ。
ピーッ!
ランニングマシーンが、その身に電気が通ると濁った短い声を上げた。
ビクッ! と、驚いた三人は、思わず一歩下がる。
「おぉう!? なんか鳴ったけど、大丈夫なの?」
オロオロするラムネ先輩。
「大丈夫、多分、起動音です。 壊れていたら、そもそも音も鳴りませんよ」
それを冷静にツッコむここあちゃん。
ラムネ先輩はいわゆる機械の操作を誤ると爆発する―そんなことを考える人なのだな、とガムは見る。
ピッ、ピッ、と手際よくボタンを叩き、操作ある程度理解したのか、なるほど、とつぶやいたここあちゃんは、シロのほうを向いて手招き。
「ここ、乗って」
「ん? なんや!? 俺様にお願い事!? しょうがないなー!」
滅多にないここあちゃんからの頼みもあって、シロは満面の笑みを浮かべてランニングマシーンに飛び乗る。
そして――
「死ね」
「え?」
ピッ!
ここあちゃんがボソッ、と小声でつぶやくと、ランニングマシーンが軽い音を鳴らす。
マシーンの黒いベルトの道が滑り出し、クォォォォン!! という音を立ててモーターがフル稼動してどんどん加速していく。
「な、なんや、速ないか?」
女の子にボコボコにされても立ち上がるぐらいにタフなシロだが、今回は違和感を感じた。
手前にあるマシーンの画面へ目を落とす――
『SPEED:MAX』
「……っ!? ちょ、ここあちゃ―」
シロが気づいた頃にはもう遅く、ランニングマシーンは限界速度に達する。
顔を歪め、全力で脚を前へと振るがそれも虚しく、氷の上で足をくじいたように彼は崩れ落ちる――。
グチャ。
何やら部活では無縁の音が響いた。
「あ、死んだ」
ここあちゃんはギャァァァ! と、音を立てる凶器と化した機械の前に倒れている物を見下ろし、珍しく嬉しそう。 相変わらず彼女の男嫌いは本物だ。
ガムは苦笑いするしかなかった。
「シロ、ご愁傷様だぜ…って、先輩何処行った?」
気がつくと、ラムネ先輩もあの山に顔を突っ込み何かをあさっている。
「あった、あった! 懐かしい!!」
そう嬉しそうな声を出して手に取った物は――釘バット。
当然、いいイメージはしない。
ラムネ先輩はその鈍器をくるりと回し、笑顔でガムに言う。
「いいこと思い付いたの! 帰宅部って、やっぱり早く帰れるようにしないといけないと思うの。 だから駅まで早く歩くためにも、脚の筋力は必要だよね?」
「え、えーと、オレ、自転車通学なんで……、帰りますっ!!」
バッ!! と、とっさにドアに駆け出すガム。
しかし、その道を遮るここあちゃん。
「自転車にも、脚の筋力はいる」
「あは、あは、あはははは…ですよねぇ…?」
――そんなわけで。
「ちょっと、落ちそうになってるよ! もっと脚を動かす!」
「もう無理! 死ぬ! 絶対死ぬっ!」
もうそろそろ、ガムの脚は限界だ。
学校では絶対にありえない、赤い世界はもうすぐそこ。(正しくは、すでに少しだけ広がっているが。)
もしこの世界を生徒会に見つかったら確実に廃部だ。
いや、ガムにとっては都合がいいが、命と引き換えるわけにはいかない。
今月に入り、生徒会役員は一新された。
中でも生徒会長、西園寺 博文は正義感が強く、副会長の犬養 千里と共によく見回りをしているらしい。
――もしかしたら、帰宅部史上、いやオレの人生史上最大のピンチ?
そうガムの頭によぎった。
次の瞬間――
ガラガラッ!
部室のドアが勢いよく開く。
立っているのは、案の定。
生徒会会長の目には、この風景がどう映るだろう。
フル稼動するランニングマシーン、
泣きながら走り続ける少年、
それを見て微笑む幼女、
床に転がる赤い物体、
そしてアイドルなお姉さんが構える釘バット。
部室には重い機械音と、足音だけが響く。
――終わった! この部は終わった!
ガムは思った。 もう笑うしかない、どうにでもなれ。
しかし生徒会は、失礼しましたっ! の一言だけを残して、バンッ! と慌ててドア閉めて去っていった。
「え…?」
予想外の展開に部員皆が眼を丸くする。
ガムも思わず脚を止め――
――ぶすっ、ぐちゃ。
********
5)
梅雨も明け、陽射しも夏らしくなってきた。
青空が広がり、綿菓子のような入道雲が流れる。
七月。
夏休みも直前で、どの部も大会で忙しくなる時期だが、帰宅部にそんな一大イベントがあるわけもなく、窓のない薄暗い部室変わらない日々を過ごしていた。
今日を除いては。
「よーし! 今日は清掃活動だぁ!!」
暑い昼下がり、さらに気温を上げるようなテンションでジャージ姿のラムネ先輩が両手を空に突き出して叫ぶ。
今日は学期末に行われている清掃活動の日だ。
この芽高高校では、生徒会と運動部、個人のボランティアで通学路の清掃活動を行っている。
あのランニングマシーン事件の後、ラムネ先輩は帰宅部が廃部にならないか、かなり悩んでいたらしい。
この清掃活動で、生徒会にいいところをアピールしよう、という手のようだ。
「暑いのに、ラムネ先輩は元気ですねー…」
長い長いコンクリートの道の向こうは、ユラユラと揺れている。
そんな道の側面にある排水溝から、空き缶を拾い上げてゴミ袋に放り込むガムが、面倒臭さそうに言う。
「ラムネ言うな! いい、ガム君? こういうのは、楽しんだもの勝ちなんだから!」
「楽しんだもの勝ち…ですか?」
ラムネ先輩は、早くも開始十分で支給されたゴミ袋一つを一杯にし、ガムの袋にまでゴミを放り込む勢い。
その仕草は小さな子供のようで、笑顔いっぱいだった。
ガムにとっては何が楽しいかわからない。
「なんで先輩は熱心で、いつも楽しそうなんだろう…」
ガムはふと思った疑問をつぶやく。
毎日毎日、部活に通って、楽しそうに笑っている。
ガムには理解できなかった。 とても不思議な気持ちだった。
胸の奥がモヤモヤとする。
「ていうか、ラムネ先輩は受験勉強とかしなくていいんですか?」
ガムが学生では誰でもするような話題をラムネ先輩に振った。
それに彼女はあっさり答える。
「私は専門学校だもん♪ てか、ラムネって言うなぁ!」
ラムネ先輩はぶんぶんっ! と腕を振り、本当に小さな子供のようだ。
「ガム君こそ、進路とか、将来の夢とかあるの?」
今度はラムネ先輩から、ガムに問い掛ける。
「オレには夢とかないですよ。 やりたいことも特にないですし」
ガムもまたあっさり答えた。
それを聞いて、先輩は言う。
「そっかぁ、でもきっと見つかるよ! ガム君のしたいこと!」
「はぁ…、そんなものですかね?」
「そんなものだよ! 人生って」
やっぱり先輩の言うことはわからない。
ガムは適当な返事をして、また一つ空っぽの缶をゴミ袋に入れる。 自分の夢のような缶を。
と、その時。
「お嬢さん! 俺様と一緒にゴミを集めへんか!? ついでに俺様たちの愛も!」
何者かに声を掛けられ、バッ! と手を捕まれる。
「おい、シロ。 オレは男だ…」
「なんや、ガムか…。 ジャージ着てたら後ろ姿が女に見えるわ」
声の持ち主はシロだった。
シロは、チッ! と舌打ちをして、ガムの手を払う。
当然、女と間違えられ、舌打ちまでされたほうはいい気分ではない。
確かに顔が中性的、少し長い黒髪を頭の上に赤いゴムでまとめている人がジャージを着ていれば、女の子と間違われてもしょうがないことは、本人が一番自覚しているのだが。
「シロ、ちょっとコッチ向け」
「なんや?」
ガムがちゃら男をしっかりと正面に向かせる。
そして次の瞬間――
「歯ぁ、食いしばれよっ!」
「っ?!!」
ドゴォォォッ!!
ガムがシロの顔面を全力で殴り飛ばした。
シロの顔が歪み、宙を舞い、グシャァッ! と、真夏の道端に沈む。
ガムは手の埃をパンパン、と払い、ふぅー、と短く息を吐く。
しかしどこか不満げな顔。 どこかスッキリしない気分。
――わからねぇ、何なんだ、この気持ち。
空模様が何だか急に悪くなってきた。
分厚い雲が、太陽の陽射しを遮る。
やがて雨が降り出し、学生たちの手も止めた。
――なんだってんだよ…。
「ガム! ガム! 帰ろっ!」
「っ!?」
ふと、ガムが気づくとここあちゃんが顔を覗くようにして、名前を呼んでいた。
彼女に呼び掛けられて、ガムはようやく今の状況に気づく。
「清掃活動は中止だって。 帰ろ?」
「あ、あぁ……」
まだガムは少しボーッとした様子で、とりあえずの生返事をする。
それを受けて、どうしたの? と、珍しく男嫌いのここあちゃんが聞くので、慌てて、なんでもない! と、首を横に振った。
「ふーん…、まぁ、私には関係からいいけど。 でも…」
「…?」
本当に珍しい。
喋り方はいつもの調子だが、今日のここあちゃんは、妙に話を振ってくる。
疑問に思ったガムが、どうしたの? と聞くと、さらに珍しく、顔を少しばかりか赤らめて、恥ずかしそうな仕草を見せた。
そして、口を動かす――
「ジャージ姿は、いいね…。 嫌いじゃないかも」
「それって、オレが女っぽいってことですか?」
内心、若干だったが少し期待をしたガム。
ここあちゃんも女子(女っぽいのも可)に対しては、こんなに態度が違うのか、と。
そんなガムは心中で叫ぶ。
――オレが馬鹿でした。
********
行間1)
部活が終わり、下校をするころには雨も上がり、空は綺麗な茜色に染まっていた。
ガムとシロも赤く染まり、二人はコンクリートの道を自転車で駆ける。
シロは妹がダッツをどうとか、と一人で騒いでいるがガムは気にも止めない。
「なぁ、シロ?」
ふと、ガムが茶髪を風に揺らすシロに問う。
「なんや?」
シロも少し元気のないガムに問い返す。
「なんで、ラムネ先輩ってあんなに頑張っているのかな? あんなに笑っているのかな?」
ちょっと変わった質問だった。
ガムもどうしてこんなことを言ったのか、わかっていない。
ただ、胸の奥で何かがモヤモヤと渦を巻く――。
シロは、そうやなー、と少し考え、答えた。
「部活が楽しいんちゃう? 俺もよぉわからへんけど、部活が楽しいから一生懸命頑張るのは、当たり前のことちゃうかな?」
「当たり前…」
ガムは、やはりよくわからなかった。
今まで十六年間生きてきたが、何かを頑張って楽しかった――そんな記憶はない。
忘れているだけかもしれない。 しかし、少なくとも今はわからない。
「まぁ、楽しんだもん勝ちや! 確かに俺も先輩に無理矢理入れられたわけやけど、今はすげぇ楽しいで!」
「楽しんだもの勝ち…か」
ラムネ先輩も同じことを言っていたような気がする。
ガムの胸の奥で、さらに渦が大きくなる。
夕焼けの空の下、温かい風が吹く。
しかし、ガムには少し寒く感じた。
********
6)
夏休みが明け、九月。
どこの部も三年生が引退し、受験勉強の重い空気が漂い始める時期。
しかし帰宅部では、専門学校希望のラムネ先輩は相変わらず毎日机の上に腰かけている。
ただ、別の意味で、重い空気が流れ始めていた――。
「うーん…、大丈夫かな…」
今日一番に来たラムネ先輩は、いつもの机の上で一枚の紙とにらめっこをしていた。
後からガラガラと扉が開き、一年生三人組が入ってくる。
「ちはー。 ラムネ先輩どうしたんですか?」
真っ先に気づいたのは、ここあちゃんだった。
ラムネ先輩は、いつもみたいにあだ名に対するツッコみはいれず、ただ、あぁ…、とつぶやいて手に持つ紙を三人に見せる。
「『部活動新設規制のお知らせ』? なんやコレ?」
シロが紙に印刷された文字を読む。
その内容は、最近、芽高高校は部が増えすぎて部費の予算が足りなくなってきているらしい。
そのため、部を新たに立ち上げるのを規制するというものだ。
それに加えて、あまり実績のない部は部費を減らしたり、部室を他の部に受け渡したり、最悪では廃部になる場合があるらしい。
「ここのところ、毎年、この時期になるとこのプリントが配られるのね…。 困ったなぁ…」
ラムネ先輩は、苦笑いで頬をかく。
確かに帰宅部は大会もない、文芸みたいに部誌も発行しないし、文化祭に出せるような物もない。
実際、勉強か遊んで帰るだけの部。 そんなこと、家に帰ってからでもできる。
部活が乗り気ではないガムには、都合のいい話だ。 このまま廃部になれば、無理矢理、毎日ここに通う必要もない。
しかし、なぜだかわからないが、心から喜べなかった。
一学期からずっと、黒い渦が巻き続けていた。
「しょうがない、頑張って生徒会にアピールし続けるしかないよね! みんな頑張ろう!」
そう明るくラムネ先輩が三人に声を掛けた。
その時――
「それはもう無理です」
バンッ! と突然、扉が勢いよく開き、銀髪で眼鏡をした男性が部室に遠慮なく入ってきたのだ。
「教頭先生…!」
ラムネ先輩が顔を強張らせて男性の正体を言った。
教頭先生は何やら深刻な顔付きで部室を見回し、そしてラムネ先輩を睨む。
「水野さん、この帰宅部を…いえ、元・萬部を今度こそ廃部にさせてもらいますよ?」
教頭先生から告げられたのは、残酷な宣告。
しかしラムネ先輩は、いつもにない必死な表情で、反論する。
「ダメです! この部は先輩たちが残してくれた、大切な居場所! 廃部なんかにはさせません!」
――『元・萬部』?
ガムの頭に疑問が浮かぶ。
「先輩、どういうことですか? この帰宅部は新たに立ち上げた部だったのでは…?」
ガムが問うと、答えは教頭先生が告げた。
「気づきましたか? この帰宅部は、去年の名前は『なんでも部』。 その前の年は、『萬部』だったんですよ」
「え…?」
ガム、そしてシロ、ここあちゃんも眼を丸くし、額から気持ち悪い汗が流れ落ちる。 胸の鼓動も早く打つ。
「廃部になるからって、登録名と活動場所を変えて存続させるとは…。 校則とまでは言いませんが、マナー違反ですよ」
教頭先生は衝撃の事実を突き付けると、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。
『廃部許可書』
生徒会公認の印も押されている。
「これを教員会議で出せば、この部は終わりです。 いい加減、諦めたらどうですか? 時に諦めることも大事なことですよ」
教頭先生からの、トドメの一撃。
ラムネ先輩の眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。
――なんだよ、これ。 こんなのありかよ?
また、ガムの心が大きくざわつき始める。
――こんなの、こんなのって…。
そして――
「先生、待ってください」
気がつくと、口が動いていた。
「いきなり諦めろ、って言われても、納得行きませんよ!」
よくわからない気持ちが爆発する。
「先生だって、いきなり仕事やめろと言われたら、納得いかないでしょう? 抗議するでしょう? 同じことですよ!」
――何、教師に反抗しているのだろう、オレ。 不良みたいじゃないか。
そう思う自分もいたが、ガムは止められなかった。
そんなガムの行動は、教頭先生に一つの案を出させる。
「いいでしょう、勝負をしましょうか。 あなたたちは、今は帰宅部です。 芽高高校から
「わかりました。 でも練習をする時間を下さい」
無茶苦茶な条件だった。 それでも、部が存続するには戦うしかない。
「いいでしょう。 では、一週間後に」
そう言って、教頭先生は部屋を出ていった。
張り詰めた空気が、一瞬のうちに緩む。
部屋は静まり返る。
「は、ははは…、ゴメン、先輩、みんな。 変な賭けに乗っちまった…」
ガムが崩れた笑顔と震えた声で、皆のほうを向く。
「いや、かっこよかったで」
それにシロが微笑み返す。
「まぁ、ガムのくせによくやったんじゃない?」
少し照れ臭そうに、ここあちゃんが言う。
「ううん…、ありがとう、ガム君!」
溢れる涙を拭って、ラムネ先輩が笑う。
さっきのガムは、いつものガムと違った。
三人共、少し驚いたが、あのやる気のないガムが、部活を守るために立ち向かったことが嬉しかった。
彼の心の中で、何かが変わろうとしていたのだ――。
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